JRRCマガジンNo.188 塞翁記-私の自叙伝7

半田正夫

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JRRCマガジン No.188   2019/12/12
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みなさまこんにちは。
寒さと共に本格的な受験シーズンが到来しました。今回は半田先生の塞翁記、第3章高校時代のお話です。
今でこそ浪人してまで志望校に入学するケースが減少していますが、半田先生は進学した高校からの転校を決意し、高校1年生を2回経験されています。より刺激を求めての転入は、今の時代においてかなり心理的にハードルの高い決断ですが、この決断がその後の歩みを寄り豊かなものにするきっかけとなります。
そして、リーダーとしての人望や素質が見いだされその力を大いに発揮していきます。
戦後、高校が再編され公立高校の共学化が進む中、新生札幌東高校で過ごされた日々は
イマドキの言葉で表現すれば「アオハル」。昭和の青春映画のようです。

前回までのコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記-私の自叙伝7━

第3章  高校生時代

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■札幌二高への編入

連合国軍総司令部(GHQ)の指示に基づき学制改革が昭和22(1947)年から実施された。
いわゆる6・3・3制の採用である。これによりこれまで中学は5年であったものが、中学3年、高校3年に改められたのである。
いままでの中学校(いわゆる旧制中学)は高校となり、それに新制の併設中学校が創設されるという構造となったのである。
いま手元にある卒業証書などの書類によると、私は昭和23(1948)年3月、北海中学校併置中学校卒業、
そして翌日、北海高等学校入学という形をとることになった。高校に進学したとはいえ、実際は中学4年と同じで、
仲間も教師もこれまでと変わることはなく、なんの新味も感じられない日の連続であった。
仲間はいずれも気のいいやつばかりであったが、このまま過ごしていいのかと思い悩み、できれば公立の高校への転入ができないものかと考えるにいたった。
そのころ、図書部に所属していたことから、札幌市内の高校図書部相互間の連絡会が誕生し、それに出席しているうちに道立札幌二高の生徒と懇意になった。
彼に相談すると、早速、編入の可能性について調べてくれた。それによると、明年4月に二高への2年編入は、
外地からの引揚者に限り受験資格を認めるが、1年への入学であれば新制中学出身者対象の入学試験があるのでそれへの受験は可能であるとのことであった。
高校1年を2度経験することになるが、なんとか脱皮しようと考えていた私は、あえて1年の入学試験を受けることにした。
試験問題はそれほど難しいものではなかったので、なんなくパス。こうして道立札幌二高(旧札幌二中)に入学するにいたったのである。

二高に通う毎日は楽しい日々の連続だった。朝、登校すると、音楽室のある二階の教室からピアノの練習曲バイエルの軽やかな旋律が聞こえてきた。
これまでの殺伐とした北海高校ではありえない和やかな雰囲気が校門付近ですでに漂い、
これを聴くだけで気持ちが明るく浮き立つのを感じた。教師は英語、数学、国語などいずれも教育熱心で、
生徒同士の競争心を煽りながら楽しく授業を進めてくれた。私は曲がりなりにも高校1年の授業をすでに経験していたが、
ここでさらにもう一度基礎からやり直しすることになり、これまでのいい加減な知識がしっかり固められていくのを感じ、
これが勉強への自信を深め、やる気を起こさせる動因ともなった。
クラスメイトの中には中学3年のときから北大合格の太鼓判を教師から押されている者もおり、大いに敵愾心を燃やしたものである。
二高での1年間が過ぎようとしたとき、進駐軍の命令により、市内の公立高校4校(男子高2校、女子高2校)について男女共学が実施されることになった。
市内全体を4等分に分けて東西南北の4校とし、地域別に最寄りの高校に振り分けるというものであった。
私は中島公園そばの札幌東高校(旧札幌市立女子高校)に振り分けられることになった。
本来ならば翌年の春、つまりわれわれが2年次に進学する際に移動するはずであったが、それが1月遅れ、5月1日からの移動となった。
それは旧男子高には女子トイレが不足、女子高には男子トイレがなかったため、その施設の増設工事が行われることによるものであった。

■札幌東高校における学校生活

5月になり札幌東高校に通うことになった。1学年は6クラス編成。私は2年6組に配属された。
ホームルームの部屋は教室が不足していることもあって、音楽教室が指定された。
教室内に入ると、旧一高生、旧二高生、旧道女高生、旧市女高生がきれいに4つに分かれてたむろしており、
男女初めて席を同じくする緊張感もあってぎこちなさが漂っていた。数の少ない旧道女高生は教室の一隅に固まって座り本を読んでいるふりをし、
男性なぞ眼中にないかのごとき孤高の姿勢を示しており、目を転ずれば数の多い旧市女高生は固まってひそひそ話を交わしている。
男はとみれば、窓際によりかかって自分の存在を示すかのように声高に話し合っているというありさまだった。

クラス委員に選ばれた私は(どうして選ばれたのかは記憶に定かではない)、男女別々にすわっていたのでは共学の意味がない、
幸い男女ほぼ同数なのだから、男女ペアで席につこうではないかと提案し、男子の圧倒的多数の賛同を得て可決成立を宣言し、
籤で座る場所を決めることにした。籤の開披が行われている間、自分の隣にどんな女の子が来るのかどきどきしながら待ったのを記憶している。
幸い私の隣には林千枝子というスリムでかわいい子がきたのでホッとしたものだった。
とはいえ、ホームルームでクラス仲間と一緒にいれるのは朝礼の時、昼食時のほかは国語、体育の授業のときだけで、
あとは選択科目に従って他のクラスの生徒と入り混じってのクラス編成であった。東高は旧女子高であったせいか男女共学になったにもかかわらず、
教師もその多くは女子高のいわば土着の民で占められていた。われわれ男子はそれに大いに不満で、
意地の悪い質問をわざわざ考えてきてはそれを教師にぶつけ、困惑する教師の顔をみてはニヤニヤ、ヘラヘラし、女子の顰蹙をかったものだった。
このようなわれわれの姿勢は、当時の男子学生の自己主張の方法であったのかもしれない。
それはともかく、学生生活は急に華やかになり、学校に行くのが楽しくなったのは事実である。
女教師が担当する体育の時間には、フォークダンスが強制された。生まれて初めて女性の手をとり、肩に手を回した。
そのときの柔らかい感触と甘い髪の香りがいまだも鮮烈な記憶として残っている。
後年、舟木一夫が「高校三年生」を歌って大ヒットしたが、そのなかの歌詞に出てくる「甘く匂うよ黒髪が」という言葉はまさにその当時の実感であったといってよい。

移転のドタバタがようやく収まって級友との間もしだいに打ち解けてきたころ、遠足会が行われることになった。
われわれのクラスはみんなの合意で茨戸(ばらと)公園に行くことが決まり、クラス委員の私がバス会社との交渉を任された。
当時は電話を備えている家庭はほとんどなく、当然わが家にもなかった。したがって職員室にある公衆電話を使わせてもらうのであるが、
交換手を通じての通話であるうえ、通信状況が悪くなかなか交換手が出ないという状況でバス会社と連絡をとるのにずいぶんと苦労したものだった。
遠足当日、予定どおりにバスが到着し、折からの快晴と相まって思い出深い楽しい一日となった。
当時の集合写真がいま手元にあるが、当時のことがまざまざと思い出されるほどだ。

秋には炊事遠足が花魁淵、現在の藻南公園で行われた。5~6人単位でグループを作ってそれぞれで料理を作って食べるというもので、
われわれのグループは男子3名、女子4名で編成されていた。料理の製作担当は女子で、男子のわれわれは焚き木を拾ってくることぐらいしかできず、ひたすら料理ができるのを待つ役目しかなかった。ところが、その料理がなかなかできず、他のグループが終わりかけているのにまだ完成しないというありさま、結局、帰りの集合時間に間に合わず、教師に頼んでわれわれだけ居残ることになり、
森閑としてただ豊平川のせせらぎが聞こえるなかで料理(多分カレーライスだったと思う)を食べて遅れて帰ったという記憶がある。

また女生徒全員の応援するなかでの男子マラソン大会、文化祭におけるクラス対抗合唱大会、さらには冬のクラス対抗雪像コンクールなど、よく遊んだものである。
青春時代の懐かしい1ページである。このころ、級友の女の子のパーティに招待されてその自宅に伺ったことが2度ある。
一度目はIさんで、彼女の父は北海道新聞の広告部長をしており、また彼女の弟はのちに演出家として著名になった石橋冠である。
二度目は、Tさんで本人はバレー部のキャプテンで、父は刑事であると聞いていた。
Tさんは数学の試験の前日、数学を教えてくれとわが家に訪ねてきて、予定が狂わされて往生したことが思い出される。
教えても、ろくに聞いていないばかりか、理解しようというそぶりもない。それどころか、さかんに部屋のなかを珍しそうに眺めたり、雑談したりで、
ただ母がお茶菓子を持ってきたときだけは、つつましげに恥じらいぶりをみせるという変わり身の早さを見せつけただけだった。
要するに、勉強を教えてもらうというのは口実で、その実は遊びに来ただけだったのである。
この応接のために私の予定は大幅に狂い、自分の勉強が終わったのは深夜に及んだという思い出がある。

つづく
次回は大学受験のお話です。おたのしみに。

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