JRRCマガジンNo.276 塞翁記-私の自叙伝37

半田正夫

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JRRCマガジン  No.276 2022/5/26
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◆今回の内容
【1】半田正夫弁護士の塞翁記 私の自叙伝37
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皆さまこんにちは。

田を渡る風が気持ちの良い季節となりました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、今回は半田先生の私の自叙伝の続きです。どうぞお楽しみください。

前回までのコラムは下記よりご覧いただけます。
⇒https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
              私の自叙伝37
     第20章 落穂拾い     
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私の波乱に満ちた自叙伝も終わりに近づいた。
ただ、これまでに経験したこと、感じたことで、自伝とは直接関係していないがため、あえて外した部分も多かった。ここではそのうちいくつかを拾い上げて紹介することとしたい。

◆手帳について
第二次大戦の末期である昭和20年4月、私は中学校に進学した。入学早々に学校から渡された書類の中に「生徒手帳」があった。
身分証明書を兼ねたもので、冒頭に学訓が記されていた。これは中学の創業者が残したもので、一種の校則となっていた。
そのなかに食事の項目があり、「三度の飯は生命を保つの要なり。食器に向かいては端正沈着なるべし・・・」から始まるかなりの長文で構成されていた食事作法が記されていた。われわれは食前にこの文章を読み上げてからでなければ食事にありつけないきまりとなっていた。
われわれは教師がいるときは、「おあずけ」を食った犬のように、すきっ腹を抱えてこれを読み上げていたが、不在のときは、これを読み上げながらパクパク食事をするという離れ業をしたものだった。戦後になると、いつのまにか「学訓」を復唱するという習慣はなくなり、それと同時に「生徒手帳」ですら姿を消したようだ。

大学生になってから市販の手帳を持っていたはずだが、散逸していまはない。
今手元に残っているのは昭和43(1968)年に北海道から神奈川大学に赴任した当時からのものに限られており、書斎の引き出しの一つに1冊も欠けることなくぎっしり収められてある。

私の手帳はなかば日記帳を兼ねており、日常起こる様々な情報を書き込むことにしている。たとえば、左のページにはその日のスケジュールを書き込むことは当然として、右のページには来客者の氏名、手紙の発受信者の氏名、電話の発受信者の氏名など、こまごまと小さな字で記載している。今読み返してみると、そこには当時のドラマが凝縮されており、簡単な表記ながらその情景を鮮明に思い出すことができる。
たとえば、そのころ在籍していた大学で学園紛争が起こり、教授会の中に学生が乱入して、大衆団交が始まり、午後1時から翌朝3時まで缶詰にされたこと、学生たちの理不尽な要求に断固反対したためにつるし上げに会い退職のやむなきにいたった緊迫の顛末など、乱れた文字の跡からいまも読み取ることができ、ほろ苦い感じとともに、懐かしくもある。

青山学院大学に赴任したのは昭和46(1971)年、当初は民法Ⅱ、外書講読、法学概論、著作権法、ゼミの5コマの担当であり、とくにわが国ではじめて著作権法の講義を開講させてもらってこれに力を入れたのも懐かしい思い出である。これらの科目は週の前半に置かせてもらい、金曜日には午前に東京教育大学で民法Ⅱ部とⅢ部の2コマ、午後には学習院大学で法学概論とゼミの2コマを担当し、土日は原稿の執筆に明け暮れ、その合間を縫って司法試験の受験予備校にも出講するという、離れ業をしていたことがよく分かる。また1月2日をオープン・ハウスとし、毎年多くの在校生、卒業生が狭い我が家に立錐の余地なく訪れ、対応に妻とともに天手古舞の忙しさであったことも、当時の手帳に書き込まれた訪問者の名前から伺うことができる。

◆日記帳について
たしか中学3年の頃であったであろうか、高校1年のころか忘れてしまったが、受験雑誌で有名な旺文社が「学生日記」という日記帳を作って販売したことがある。市販されている普通の日記帳と違う点は、各日にちの欄外に学生が知っていたほうがいいと思われるコラム欄があったことである。
たとえば、旧制一高の「ああ玉杯に花受けて」や三高の「紅もゆる」の寮歌とか、「1÷0」、「0÷1」の答えとか、興味を惹かれる記事が記されていて、好奇心を満足させたものであった。12月の初めに購入し、それ以来毎日、元旦に記すべき言葉を考えていたという思い出もある。残念ながら、相次ぐ引っ越しのため、どこかに散逸してしまい、今はない。

手元に残っている一番古い日記帳は大学1年のときの昭和28(1953)年と翌29年の大学ノートに記された2冊のみである。しかも飛び飛びに書かれているに過ぎない。内容は気取った文章がやたら目につく。たとえば、成人の日の記述では、
 「今日は成人の日。僕も満20歳となって祝福される日である。講和発効後初の成人の日に僕が成人したのは、誠に意義深く感無量である。公において大人として扱ってもらえると思うと、さすがに喜びを禁じ得ない。学識を深め、人格の陶冶に勤しみ、ぜひとも有為の人物になることを誓う。」
など、歯の浮いたコトバが羅列してあり、面映ゆい感じがする。当時はまだ成人式は行われていなかったので,晴れやかな式典に出席したという記録はない。ただ驚いたことに当時はまだ電力事情悪化のために週2日も日中に停電があったもようで、その旨の記載もある。

日記を間断なく続けるようになったのは、平成12(2000)年からである。その前年の12月15日に学長に就任し、多くの人に接したり、会議が頻繁に開かれるようになったりして、これまでの教授生活からガラリと一変したことから、備忘録の意味を兼ねて執筆したのがはじまりである。
それ以来、一日も欠かさずつけている。もちろん多忙であったり、つい筆不精したりして、1週間分まとめてつけることもあるが、その際は手帳に記してあることをもとに記憶を蘇らせるので,付け落としがない。そして、年末には、その年の重大事件や自分に起きた出来事ベスト10を選び出して書き込んでおくことも、自分史の貴重な記録となり、意味のあることのように思われる。

日記はA4の用紙に40字×30行でパソコンに入力し、各年別にファイルしてあり、その数も23冊に達している。
最近では、これを声に出して読んで妻に聴かせるということをしている。これは高齢に達し記憶力の衰えをこれによって補おうとする効果と、妻の知らない私の外における活動を知ってもらいたいという効果を期待してのものであるが、これが意外と夫婦和合の効果をもたらしているようなので、広くお薦めしたいところである。

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