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JRRCマガジン No.220 2020/11/5
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みなさまこんにちは。
今日は半田先生の自叙伝、塞翁記をお届けします。
途中からメールマガジンをご覧になっている方でご存じない方へ向けて、
簡単ではありますが、半田先生について今一度ご紹介したいと思います。
半田正夫先生は設立以来長らく当センターの理事長をお勤めいただきました(前理事長)、著作権法学者の第一人者であり、
文化審議会著作権分科会の委員など政府の委員を歴任し、現代の著作権法を語るうえで欠かせない方のお一人です。
最近では2018年に明らかになった医学部不正入試問題では法律家と教育者両方の立場から当該大学の第三者委員会の委員を務められました。
先生の元で民法や著作権法を学んだゼミの教え子は550名にも達しており、学者としても教育者としても沢山の功績を残していらっしゃいます。
塞翁記は一個人の自叙伝ではなく、現在の著作権法や歴史を辿ることもさることながら、大学教育と研究の実態も知ることができ、
著作権に興味をお持ちの方はもちろん、なかなか知ることのできない学者の世界を垣間見ることができる貴重なお話が満載です。
今回はいよいよ長らく教鞭を執られることになる青山学院大学に行かれるまでのお話です。
半田先生のプロフィール詳細(TMI総合法律事務所より)
https://www.tmi.gr.jp/people/m-handa.html
前回までのコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/
◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
-私の自叙伝18
第10章 大阪へ通勤
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■近畿大学に赴任
帰郷して不動産業者と仮契約して300万円を払い込み、直ちに新居に引っ越した。
当時はわが家の周囲に家が少なく、そのために日当たりがよく、六角橋の住居とは雲泥の差で、気分が晴れやかになるのを肌で感じることとなった。
そうこうするうちに、私の次の就職先として近畿大学が決まった。
じつはその前に日大から話があったのだが、当時日大は学園紛争の真っただ中、しかももっとも先鋭化された、なかばプロの集団が学内を占拠していて、
授業再開がいつになるか分からないという状態のため、私の採用もかなり遅れる模様であった。収入の途を全く断たれた私はそれを待つ余裕はなかった。
そこで私は、紛争の少ない関西にあって、しかも世耕一族のワンマン体制でしっかり固められていて他校の紛争とは全く無縁で、平常の状態を保っている近畿大学を選ぶことにした。
とはいえ、新居を東京に構えたばかりなので、大阪に引っ越しもならず、東京から大阪まで通うことになった。
決められた講義科目は水曜と木曜に分けられ、
水曜日
民法(商経学部)12:30~14:30
ゼミ(昼) 15:45~17:15
ゼミ(夜) 17:30~18:30
木曜日
民法(商経学部)9:00~10:30
民法(商経学部)10:40~12:10
債権法(法学部)(昼)12:30~14:00
債権法(法学部)(夜)18:35~19:35
というようなタイトなスケジュールとなっていた。
水曜の講義に間に合うためには、東京発8時の新幹線に乗らなければならないので、家を出るのが6時半。したがって少なくとも5時半起床であった。
また講義が終わるのが木曜の19時35分であるが、これを時間通りにやると、新大阪発20時30分の最終の新幹線に間に合わなくなるので、19時25分ごろになると、
「ちょうど区切りがいいので、今日はここまで」
と宣言して、そそくさと帰路に就く。これでやっと最終の新幹線に間に合うという綱渡りのような生活を送ったものである。
今思えば、学生に悪いことをしたと反省しきりである。水曜の夜は、大学が用意してくれたアパートの1室に泊まった。
場所は近鉄奈良線の富雄から徒歩5分くらいのところにあった。
近大に通うことは若かったせいもあるが、まったく苦にならなかった。
当時、講義は近大のほかに、学習院大で法学とゼミの2コマ、郵政大学校で民法の2コマを担当していた。
そのうえ、原稿も書きまくった。
中川善之助・山畠正男編「実用法学事典・相続」(第一法規)の「相続税と贈与税」、
遠藤浩・内田俊一編「民法講義(債権)」(青林書院新社)の「債権譲渡と債務引受」、
遠藤浩ほか編「民法(1)」(有斐閣)の「物」、
四宮和夫・椿壽夫編「債権回収の法律相談」(有斐閣)の「債権額と取り消しの範囲」など数項目、
「損害賠償における相当因果関係説」(ドイツ判例百選・有斐閣)などの頼まれ仕事のほかに、
「不動産の共有と法定地上権」(近大法学)、「出版契約」(有斐閣・注釈民法17巻)を書き、
さらに「不動産の二重譲渡に関する諸問題」を法務総合研究所の発行する雑誌「民事研修」に連載を始めたのである。
■青山学院大学からの誘い
近大に移って半年ほど経ったころであったろうか、ある日突然、青山学院大学の森泉教授から電話が入った。
青山学院大学法学部の民法のポストに急に空きができたので、こちらに移る気はないかという誘いであった。
森泉教授とはそれまでに有斐閣の出版になる本の執筆者として数回一緒したという縁があるだけで直接話したこともないという間柄であるので、一時は驚いたが、
彼が非常勤講師として勤務していた神奈川大学の教員らから私のうわさを聞いていたようで、それでの話と初めて納得がいったのである。
願ってもない話ではあったが、近大に移ってまだ1年も経っていない状況なのでためらいもあったが、近大での同僚の話によると、
関西の民法研究者は排他的でとくに関東からの外部者を研究会に迎え入れる空気はないとのことであり、関西には長居は出来ないと考えはじめていたときでもあったので来年3月で近大を辞めようと決意し、
その旨を学部長に申し入れた。
そして森泉教授はわざわざ近大にまで赴いて割愛方を正式に申し入れてくれた。
しかし、近大では辞められては困るとのことで、学長から青山学院大学の学長宛に抗議の手紙が送られるという結果となり、この件はこじれにこじれた。
当初、当方には職業選択の自由があるのだから辞めたいという者を拒む権利はないはずだと息巻いていた私も、冷静に考えてみれば近大に迷惑をかけることになるので妥協し、
お世話になったお礼としてもう1年間は無給で勤務するが、その後は解放し、青山学院大学に移ることを了承してもらいたいと申し入れ、これが聞き入れられることになった。
ただ近大も申し訳ないと思ったのか、往復の旅費だけは負担すると言ってくれたのである。
かくして昭和45(1980)年度は、無給で毎週大阪まで講義に通うことになった。
講義は週1日となり、木曜日の12時半~14時に法学部の債権法、14時10分~15時40分にゼミ、15時45分~17時15分に商経学部の民法、17時半~18時半に法学部Ⅱ部の債権法の4コマであった。
ちょうど大阪万博が開かれている年で、多くの観光客で溢れかえっているなかを、万博会場には一歩も足を踏み入れることなく東京・大阪間を往復したのである。
万博会場に立ち寄らなかったのは立ち寄るだけの経済的余裕がなかったがためでもある。
固定収入である近大からの俸給は入らなくなったが、うわさを聞いた各方面の方々から援助の手が差しのべられたのは非常にありがたかった。
従来の学習院大と郵政大学校の非常勤のほかに、新たに東京教育大学(現筑波大学)の非常勤講師の話が決まり、有斐閣その他の出版社が執筆の仕事を回してくれたからであった。
したがって、豊かではなかったが、生活に困るという状態におちいることはなかった。
この1年間に青山学院大学のほか、独協大学、千葉大学、日本大学から採用の打診があったが、青山学院大学の先約があるためすべてお断りしたのである。
青山学院大学から採用の内定が出たのは、1970年11月24日。森泉教授からの電話連絡で知らされた。
その翌日に三島由紀夫が市谷の自衛隊本部に乱入したのち割腹自殺するという事件が発生したのである。
つづく
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