JRRCマガジンNo.211 塞翁記-私の自叙伝15

半田正夫

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JRRCマガジン No.211 2020/7/16
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みなさまこんにちは。

豪雨や新型コロナの第二波などで再び行動が制限される日々に戻っていますが、
みなさまは沈みがちな気分を癒してくれること、モノ、相棒をお持ちでしょうか。
我が家は、子供にせがまれて4年ほど前に金魚を飼い始めました。
全長5cmくらいの小さなオランダシシガシラと黒出目金、そして、デパートの屋上釣り堀で釣った和金の3匹です。
餌を食べる姿を眺める時が癒しの時間なので、つい沢山あげてしまうせいかもしれませんが、今では15cmくらいまでに成長し、
最近、大きな水槽に変えました。
3匹それぞれのびのび泳ぎ回るのかと思いきや、水槽の角に飼い主の方を向き肩を寄せ合って口をパクパクする姿がたまらないです。
早く新しい環境に慣れますようにと思いながら水槽を見つめていると、つい時間を忘れてしまいます。

さて、今週は半田先生の塞翁記をお届けします。
新しい環境で大学の専任講師として、また、著作権法学者としてスタートを切りました。
どのような道を辿り「専門家」と呼ばれるようになったのでしょうか、そのプロセスも興味深いところです。
前回までのコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
           -私の自叙伝15

第6章 北大助手時代
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■北海学園大学に赴任

北海学園大学は私が中学生時代を過ごした北海中学を母体として戦後発足した新制大学である。
創立当初は経済学部のみの単科大学であったが、昭和39(1964)年に法学部が新設され、その開設時に私が法学部の専任講師として赴任した。
大学教員としての生活はここから始まったということになる。新設の学部であるために最初の専任教員は7~8名に過ぎなかった。
私は民法と法学概論の講義を担当することになり、講義の準備とその本番である講義の明け暮れに忙殺された。

一方、博士論文が北大法学論集に掲載されることになり、原稿の補正などにも力を入れた。
この論文は「著作権の一元的構成について」と題し、5回に分けて連載された。自分の書いたものが生まれて初めて活字になる喜びは大変なものだった。
雑誌が出来上がるのを一日千秋の思いで待ったものだった。
「もうそろそろ校正刷りが印刷所から送られて来るころだ」と思われる日には研究室の窓から校門の方を絶えず見ていたものである。
この連載は昭和39年から40年にかけて行われたが、その最中である40年の8月に法学書の出版元として著名な有斐閣から同社の雑誌「ジュリスト」への寄稿の依頼を受けた。
北大法学論集に載せた原稿の反響が早くも現れたという嬉しさ、しかもそれが著名な出版社であるということが自尊心を満足させ、
これで学会デビューが果たせるとの確信をもつにいたったのである。

■研究対象の二面化 
 
著作権に関する論文で博士号を取得したことから世間は私を著作権の専門家とみるようになったことは自分としても嬉しいことであり、
この方面の研究は今後とも続けようという気持ちに変わりはなかったが、本来私は民法の研究を志していたのであって、前にも述べたように、
民法研究の手がかりをつかもうとの意図のもとに著作権法の勉強を始めたという経由からも明らかなように、著作権にのめり込んだとはいえ、
決して民法の研究を諦めたわけではなかった。
著作権の勉強をしたことは、民法を外部から客観的に眺めることができるという効果をもたらした。
もともとそのような効果を意図して著作権に取り組んだのであったが、実際にやってみてその効果が表れてきたのである。

それは不動産の二重譲渡という問題についての素朴な疑問から発したのである。

Aが自己所有の不動産をBに譲渡したにもかかわらず、この不動産をCにも譲渡したという場合に、
先に登記をした者が勝つという定説について誰もがこれを否定せずに受け入れているが、
AからBに所有権が移転すれば、Aは無権利者となるはずであり、この無権利者からCが所有権を取得するはずがない、
つまり二重譲渡などということは成立するはずがない、というのが初学者の素朴な疑問であるのに、
専門家はこのような疑問を持つこと自体が馬鹿げていると一蹴し、
二重譲渡が成立することを前提として論を先に進めている。

これは民法177条が二重譲渡の成立することを前提とした規定であることからこのようになるのであるが、
民法を始めて学ぶ者が抱く当然の疑問に答えることなく、
一刀のもとに切り捨てて質問を封じるというのでは、学問を教える者として正しい生き方といえるのかが、本来問題となるべきだったといえる。
われわれにとって一番身近な法律であるはずの民法を一般の人々に十分に理解してもらうためにはどうすればいいかを常に考える、
これが学者に課せられた使命であるといっても過言ではない。

そこで私は従来の通説とはまったく別の角度からこの問題に取り組み、わたしなりの仮説を提示した。
それが「不動産の二重譲渡へのひとつのアプローチ」(北大法学論集16巻4号)と題する論文である。
おそるおそる発表したこの論文が大方の好意ある評価を得たのに勢いを得て、
さらにこれを発展させ、「いわゆる二重譲渡について――二重譲渡に関する諸問題の統一的理解のための一提言」(北海学園大学法学研究3巻、4巻1号)、
「不動産所有権の二重譲渡に関する諸問題(1)~(5)」(民事研修150号~164号)を発表し、いわゆる公信力説の主張へとつながっていくのである。

■出版と著作権に関する実態調査

他方、著作権に関しては、私の主張する一元的構成の考え方がはたして著作権実務において採りうるものなのかを出版契約の側面から検討しようと考え、
文部省(現在の文部科学省)からの研究助成金の交付を受けて、全国の出版社を対象に出版契約の実態調査を行った。
調査の仕方は、調査票を作成してこれをわが国の代表的出版社280社に送付し、回収した調査票を分析するという手法を採った。
本来であるならば、みずから出向いて各出版社の実務担当者から話を聞いてまとめるという方法を取るべきであろうが、
居を北海道に構えていてはそれは不可能であり、郵送形式に頼るアンケート調査はほとんど無視されることが多いのが実情であるのを承知しながらも、
あえてこのような方法を取るしかなかったのである。
ところが幸いにも、出版界の長老である布川角左衛門氏と美作太郎氏の知遇を得、
これら大先輩が私の研究に協力するようにと呼びかけを行っていただいたことが功を奏し、
調査票の回収は120通(回収率43%)という、この種の調査としては異例ともいえる高い回収率を挙げることができた。

このようにして得られた調査票を、私は徹底的に分析して出版取引の実態を明らかにするとともに、
年来の主張である一元的構成の考え方がわが国の出版取引においても十分通用するだけでなく、
かえって合理的な取引形態に推移する途を開くことになる点を指摘することができたのである。
この論稿は、「出版の法理―出版契約に関する実態調査を手がかりとして―」(北大法学論集18巻1号)と題して発表し、
これが縁となって有斐閣の発行する注釈民法17巻に「出版契約」を執筆するチャンスが与えられることになったのである。

■私的録音・録画問題

前記の「著作権の一元的構成」に関する論文を執筆するにあたって、ドイツの雑誌論文を渉猟している間に、
ドイツ(当時はまだ統一前なので正確には西ドイツ)では磁気録音と著作権との関係が盛んに論じられているのに気付いた。
それを読んでみると、わが国ではまだ全く俎上にすら上がっていない大きな問題が発生しているのを知ることになった。
当時、ドイツの著作権法には、著作権から派生的に生じる権利の一つとして複製権を認め、
著作物を複製する者は著作権者から複製の許諾を受けなければならないものとされていた。

ただこの例外として、私的使用のための複製は自由であるとの規定(LUG15条2項)があった。

この規定の立法当初である20世紀の冒頭においては複製技術が未熟であったため、複製方法としては手書きぐらいが複製手段として考えられていた時代であった。
そこで書籍の筆写程度の複製であるならば、これを自由にしても著作権者の利益が不当に侵される心配はないとの判断により、
前記の規定となったものである。

ところが戦後にいたり、機械技術の進歩によって音楽のテープ録音などが可能になると、
これによる複製が個人的趣味で行われることが増大し、これが複製権の侵害となるかが問題となったのである。

1950年、ドイツで音楽の著作権の管理を権利者から委託されていたGEMA(わが国のJASRACに当たる団体)が、テープレコーダーのメーカーや販売業者に回章を発し、
レコード放送またはレコード演奏をテープレコーダーによって録音することは、著作者、レコード製作者及び放送事業者の権利を侵害するものである旨を警告した。
これに対してテープレコーダーを製作している電器会社が、家庭内におけるテープ録音は前記LUG15条2項によって自由のはずだと反論し、
ドイツ国内で激しい論争が巻き起こることとなった。

私がドイツの雑誌論文を渉猟していたのはまさにこの時期だったのである。

この争いはやがて、時代の寵児となった家庭内でのテープ録音を自由にしながらも、権利者の利益を損なわない方法はないかという政策論に発展し、
最高裁の判決がひとつの解決策を提示したことをきっかけに、立法的解決をみるにいたった。

これがいわゆる私的録音・録画補償金制度というものである。

私は、ドイツにおけるこの問題の発端からその後の過程、すなわち学者や実務家の論争、判例の推移、立法過程を丹念に追い、
いずれはわが国においても同様の問題が起こりうることを考え、問題点のいくつかを指摘しておいた。
この論文を公にしたのは昭和41(1966)年であるが、当時はほとんど人目を引くこともなく、
私自身、恩師の五十嵐先生の進めていた比較法学という学問分野における一つの習作程度の認識しかなかったといってよい。

これが注目を集め、再び日の目をみるようになったのは、平成4(1992)年に私的録音・録画補償金制度が立法化されたときであるから、25年も経過したことになる。
わが国に最初に紹介したのが私であるので先見の明があったといえば聞こえがいいが、
私自身、この問題が将来大きな論争のタネになるとは全く予想だにしていなかったのであるから、あまり自慢になる話ではないといえよう。

つづく
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