JRRCマガジンNo.198 塞翁記-私の自叙伝11

半田正夫

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JRRCマガジン No.198 2020/3/19
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みなさまこんにちは、
今日の東京は快晴です。
朝、自宅前で正装をした幼稚園の先生方が
安堵の表情で園門を見つめていました。
「おめでとうございます」と声をかけると、
笑顔を見せてくださいました。
今日は卒業式が各所で行われています。
各種イベントや式典の中止、縮小化の中、
暖かい春の日差しは彼らへのはなむけになったのではないでしょうか。

今回のコラムは半田先生の塞翁記です。
現在は新型コロナウイルスが世界を震撼させていますが、
半田先生も大学卒業時、当時の難病に悩まされることに・・・。

前回までのコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
           -私の自叙伝11

第4章 大学生時代 ~ 第5章 大学院生時代

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■実家の移転
9月に至って、わが家の引っ越しが行われた。それまでは南8条西10丁目に住んでいたが、
法務局が裁判所の庁舎から独立して新しい庁舎を円山公園の近くに建設して移転することになったことから、
父の事務所も裁判所の公衆待合室から法務局の待合室に移転したが、他の司法書士から特別待遇でけしからんとの批判が出たので、
そこを出て近くに引っ越しをしようと土地の物色を行い、新築の法務局からわずか50メートル離れた土地を入手し、住宅兼用の事務所を建築したからである。
父としてははじめて自分の思い通りに作るマイホームである。

そこで父の要望により事務所と居間、それにキッチンを結びつけるペチカの設置を行ったのである。
ペチカは見た目にはハイカラであったが、熱効率が悪く、わが家の場合はまったくの失敗作であった。
それはともかく、新しいわが家の二階に私の部屋が設けられ、作り付けの本棚も設置された。私としてもはじめて自分の城を持つことになる。
部屋は南向きであり、窓からは市内西部にそびえる円山が至近の距離に望むことができ、朝には郭公はじめ多くの鳥の鳴く声に目覚め、日中は緑の樹々によって疲れた目を休ませることができ、
夕方には里に帰るカラスの大群を夕日の中に見ることができるという、勉学する者にとっては絶好の条件がそろっていた。
 
■五十嵐ゼミに参加

大学3年生になって、はじめてゼミを履修することが許された。私はかねて厳しいとの噂のあった五十嵐ゼミを選んだ。
指導教授の五十嵐先生は当時25歳の東大法学部トップ卒業で全国で最年少で国立大学助教授になったとの噂のある新進気鋭の教官であった。
ここで自分を鍛えてもらおうとの意図のもとあえてここを選んだのである。このゼミは先生の選んだ最高裁判例を1つずつ研究するというものであった。
私に割り当てられたのは無効行為の転換に関する判例であった。私はこの報告の準備に1か月を当てた。

現在であれば、文献や関係する判例の収集には図書館にあるデータベースを活用することにより簡単に調べることができるが、当時はそのようなものがなかったため、
図書館の書庫に入り、1冊ずつ探しあてなければならないといった状況にあった。
判例を集め、文献を渉猟するところからはじめ、それを分析し、自分なりの意見、できれば独創的な意見を述べようと考え、毎日、寝ても起きても考え続けて一つのアイデアを思いつき、
それをベースに草稿を作り、それを何回も読んで暗唱し、時計を見ながら報告の予行演習を行って当日に臨んだ。

そして当日は、教壇に上がって、黒板を使いながら報告を行った。報告に要した時間はきっかり30分。予定通りであった。
その時に先生の下した評価は、「きわめて独創的な見解である」であった。
これが褒めた言葉なのかどうかはわからないが、あの厳しい先生がこのような評価を下したというのは褒めたことであろうと、勝手にポジティブに受け止め、
この時点で研究者の道を進もうと考えるにいたったのである。

【第5章 大学院生時代】

■北大大学院の受験

研究者を志した私は北大の大学院修士課程を受験することとした。
同修士課程の私法コースの入学試験は、憲法、民法、商法、民事訴訟法、英語、ドイツ語またはフランス語の筆記試験から成っていた。
試験の結果については手ごたえを感じ、合格間違いないと思っていたのであるが、ここにとんでもない伏兵がひそんでいたのである。
 
合格者の発表を間近にひかえたある日、友人のMの突然の来訪を受けたのである。
彼はたまたま所用があって北大学生診療所に行った際に、偶然机上にあった書類に目を向けたところ、私の名前が飛び込んできたので、注意深く読んでみたところ、
「肺結核」の文字を発見したとのことである。まったくの予想外の知らせに驚いて早速大学に出かけた。
ゼミの指導教授である五十嵐先生は折悪しくドイツ留学中で不在。
やむなく山畠先生、小山先生の研究室を訪ねて相談、両先生の勧めもあって、民事法関係の最高責任者である宮崎孝治郎教授の研究室を訪問したのであった。
本来、入学試験は、学力試験と健康診断の双方にパスしなければ合格とはいえないのであり、私の場合は学力試験のほうは合格点に達していたもようであるが、
健康診断のほうは確かに「肺結核」で、結果的には不合格となるはずであった。

ところが、不合格となれば大学卒業後は無職となり、学生の身分を失うので、大学診療所での診察も不可となってしまうことになる。
当時、結核の療法といえば、パス、ヒドラジッド、ストレプトマイシンの薬の三者併用というのが主流であった。
かつてのように死病ではなくなったものの、全快にいたるまでは症状にもよるが、少なくとも数年はかかるという難病であった。
しかも月に一度はX線写真を、平面と断層を含めて7~8枚は撮らなければならず、薬代を含め治療費はかなりの高額になるのを覚悟しなければならなかった。
しかし、学生の身分を取得していれば、そのほとんど全額が学生保険でまかなわれるという利点があった。
先生がたはその点を考慮してくれたものとみえ、教授会の下した結論は、「入学を許可する。ただし、即日休学を命ずる。」というものであった。

つづく

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