JRRCマガジンNo.195 塞翁記-私の自叙伝10

半田正夫

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JRRCマガジン No.195 2020/2/27
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みなさまこんにちは。
新型コロナウイルスの影響が日常生活にも及んできていますね。
学校や職場では休校やイベント中止などの措置が取られるようになりました。
大学入試も大詰めを迎えていますし、また、卒業式を控えた方にとっては無事に終えられるのかと気が気でないと思います。
楽しみにしていた方や準備を進めていた方を思うと複雑ですが、
一日も早い事態の終息を願うべく、感染防止のために我々もできることは積極的に行っていきましょう。

さて、今回のコラムは半田先生の塞翁記です。

前回までのコラムはこちらから
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◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記-私の自叙伝9━

第4章  大学生時代

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◆エナメル上皮腫

高校3年のころであったろうか、口内の左下部分に固いしこりがあるのが分かり、札幌医大病院にそのころ誕生した口腔外科に近所の歯科医の紹介によって出かけた。
診察の結果はエナメル上皮腫という病気であった。これは癌のように悪性ではなく良性ではあるものの、放っておけば下顎骨を侵食して薄くして行き、
最後には骨が潰れて顔がゆがむので、手術して除去したほうがいいとのことであった。
担当医は東大からの赴任仕立ての助教授である林一(はやし・はじめ)先生であった。早速の手術を勧められたが、受験を間近に控えていたこともあって、合格後に訪れることにした。
手術は早いほうがいいが、ただ進行が遅いので1年後でもかまわないとのことであった。

北大に合格してほぼ1年が経った昭和38年1月、さらに腫瘍がひとまわり大きくなったのを自覚した私は、札幌医大に出かけた。
林先生は、私の顔をみるなり、「半田さん、怖気づいて来ないのかと思ってましたよ。」と言った。私は先生のほうからなにか言ってくるかと思っていたのだ。
早速入院の手続きをとり、1月20日に入院した。そしてその日のうちに、注射器によって下小臼歯の付近の腫瘍から中の液体を抜き出す。
薄黄色の液体は出るが、黴菌はないもようとのこと。さらに上下すべての歯から歯石を除去する。さらに翌日には、顔面のX写真を前後左右から何枚も撮り、手術後に入れる義骨ために歯型もとる。
手術は1月27日10時から行われる。顔全体に消毒のためマーキロを塗られ、左顔面だけの局部麻酔である。

当時、全身麻酔は後遺症が残る危険性があったので局部麻酔となったものだ。
したがって、左半分の下顎骨をゴシゴシと鋸で切る音や響きがそのまま脳天に突き刺さり、痛みはないというものの不愉快なこと極まりない。
最後にメリメリという音が響き、顎の骨の切断されるのを知って、思わず「あ~」という悲痛なうなり声を出してしまった。
切断と同時にあらかじめ用意されていた義骨を入れ、「ぴったり入った」という医師の言葉も鮮明に聞き取れたのである。かくして4時間を予定していた手術は1時間短縮して完了したのである。

術後は、その夜に口内に滲み出した血液が空気に触れて凝固し、それが喉に詰まって呼吸困難になるというアクシデントがあったが、それ以外は順調に推移し、2週間ほどで退院した。
退院後は義骨を取り外して洗浄するため病院通いを継続しなければならず、それを取り外すときに激しい痛み感ずるのが嫌であったが、
それも間遠になり、外す必要なしとの宣告を受けてからは、食事の際に固い物や弾力性のある物は咀嚼に困難を来たすほか外見上は健康人とまったく変わらなくなった。

後年、林先生は母校である東大医学部の口腔外科教授として赴任した。私が下顎の調子が悪くなって訪れたとき、またお世話になった。
先生は、札幌医大において最初に手掛けた大手術であったためか私のことをよく覚えており、懐かしがってくれたものである。
それから間もなく先生は天国に召された。
思い返してみると、先生は私のエナメル上皮腫の手術のために札幌医大に赴任し、予後を見届けて亡くなった感があり、
私の運命を支えるために神が与えてくれたひとりではないかと、運命論者ではないがそのように思えてならない。

◆法学部に進学

学年末に手術のため1か月ほど大学を休んだので、定期試験はさんざんであった。友達からノートを借りて筆写することに追われて、
内容の理解までには到底いたらず、おぼろげな知識だけで臨んだのだからやむを得ないといえる。
一般教養課程から専門学部への進学は2年目の後期、つまり1953年10月からである。従来の法経学部が法学部と経済学部に分かれて定員増になるとの噂が流れてきて少し安堵したものの、
はたして自分の成績で希望の法学部進学が許されるか、友人たちの成績が皆目見当がつかないため、噂話に一喜一憂するありさまだった。
進学者の氏名が発表になったのは10月2日、各学部のトップを切って法学部の発表が行われた。進学者80名でそのなかに自分の氏名を発見したときは正直言って嬉しかった。

講義が始まったのは10月12日の月曜日からであった。教室は旧予科(予科は旧制高等学校に匹敵する学校で、国立の京城大学、台北大学と北大にだけ設置されていた)が使用していた木造の1番教室であった。
3~4人掛けの机と長椅子が並んでいるだけのガランとした殺風景な教室で、講義のほとんどがこの教室で行われることになる。
最初の日は、諸教授臨席のもとでガイダンスが行われた。小山昇教授の司会により菊井法学部長(東大教授兼任)から始まって、宮崎、山畠、尾形、荘司など、先生がたの挨拶が続く。
視野を広く持て、いたずらに条文の解釈に拘泥するなかれ、といった話が行われた。
講義の時間は一般教養課程のときは90分であったが、法学部では2時間が1コマであり、講義時間がはてしなく長くなったというのが実感だった。
北大に法学部が誕生したとはいえ、開業早々で人手不足。いきおい非常勤講師で授業の大半がまかなわれた。
開設に当たり東大法学部が協力してくれたとかで、多くの東大教授が集中講義で来札した。

東京から集中講義で来る先生は本務校の休暇を利用するケースが多かったため、とくに夏休みは連日朝から夕方まで講義の連続で、そのためにわれわれの夏休みは大幅に削られることになった。
しかし、札幌に居ながらにして著名教授の講義を拝聴できることはなによりの収穫であった。とくに民法の我妻教授の担保物権法、鈴木教授の手形・小切手法などはまさに圧巻であった。
専任の先生でも民事訴訟法の小山教授はやさしくていねいに板書しながら解説するためノートが取りやすく、また刑法の荘子助教授の講義は、悪戦苦闘しながら講義の準備をしているさまが窺われ、
時には、「今日はここまでしか準備ができなかったので、すみませんが今日はここまでで終わりにします」
とほんとに申し訳なさそうに言って講義を終わりにする態度は、われわれ学生の好感をもって迎え入れられたようである。

しかし他方では、憲法の某教授のように、新しく制定された憲法について十分な理解もないままに教壇に立っておられるもようで、
講義の内容の大半は旧憲法の解説や憲法制定史で占められていたうえ、試験の際の問題として「政体書」と「皇室典範」が出て学生からブーイングが鳴り響き、教授が興奮してわなわな震えていたのを思い出す。
また、教室に数十冊の本を抱えて現れ、それを教卓の上に山積みし、結局はそれを一冊も開くことなくひとり熱弁を奮う教授、
眠そうな顔をして現れ、椅子に座って頬杖をしながら、小さな声でボソボソしゃべり、一番前に座っている学生にしかその内容が聞き取れないほどであるにもかかわらず、
試験の採点はやたら厳しく、80名中数名にしか合格点を与えない教授、あるいはキンキン超えで話すためにノートを取ることが苦痛になってしまう教授など、
現在であれば学生から総スカンを食ってしまうような講義もお多かったと記憶している。
 
専門科目の講義のスピードには当初面食らったが、次第に慣れるようになった。一般教養課程の試験の成績があまり芳しくなかったので、専門科目はそうはさせじと頑張ることに決めた。
2年次後期からスタートした講義の定期試験は、翌年の3月初めから始まった。私の受けたのは4科目であった。試験時間はすべて2時間。
罫線入り10枚綴りの答案用紙が与えられ、これにペンを用いて筆記するというもので、一般教養課程の試験との違いは、
教場の教卓の上に答案箱と棄権箱とが用意されていて、試験開始後、問題を見て、「こりゃ、ダメだ」と思ったら、直ちに答案用紙に「棄権」と書き、
これを棄権箱にぶち込んで退室すれば、未履修となり、成績表に落第点はつかないということになっていた。
就職時に「不可」の記載のある成績表のため不利にならないようにとの大学側の配慮によるものらしかった。
6月初めに試験の結果が発表になり、私は受験した4科目すべてが「優」であった。
これは珍しいことのようであり、誇りに思えるとともに、努力した甲斐があったと思ったものだった。

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