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JRRCマガジン No.159 2019/3/7
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さて、今回の半田正夫弁護士の著作権の泉は、「著作権法学会
発足のころ」です。
◆◇◆半田正夫弁護士の著作権の泉━━━━━━━━━━━
第66回 著作権法学会発足のころ
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いま手元に著作権法学会の機関紙である「著作権研究」の第
1号がある。これが発行されたのは昭和42(1967)年である。
創刊の辞を執筆された東季彦・日大名誉教授によると、この学
会は昭和37年3月に設立されたとのことであるが、当時、私は
北海道大学の法学部助手として「著作権の一元的構成」の研究
論文の作成に励んでいた時期にあたり、この学会が創立された
ことは全く知らない状況にあった。学会の存在を知ったのは昭
和40年頃、この創設に並々ならぬ努力を傾注された伊藤信男弁
護士に論文の抜き刷りを送った縁で、紹介されて入会したとき
である。その当時は会員もまだ20数名足らずで、学会の研究会
といっても、日大や学士会館の小さな一室を借りて、ロの字に
机を囲んで、紅茶を飲みながら和気あいあいに行うというもの
で、学会の研究発表といった厳しさにはほど遠い、いわば懇談
会に近い会合であったと記憶している。この学会において私は
当時、専修大学教授(東北大学名誉教授)であられた勝本正晃
先生に初めてお眼にかかり挨拶をしたのである。先生はいうま
でもなく民法学の大家であると同時に、著作権法においても造
詣が深く、昭和23(1948)年には「日本著作権法」(巖松堂)
を、そして同31(1956)年には「現代文化と著作権」(雄渾社)
を出版されていた。いずれも旧著作権法時代のものであるが、
私がこれらから教示を受けた学恩は計り知れない。そこで私の
処女作である「著作権の一元的構成について」と題する論稿が
北大法学論集に連載された折、出版の度ごとに抜き刷りをお送
りし、丁重な礼状をいただいていたのであるが、はじめてお目
にかかってその豊かな風貌と温顔に接したときは、さすがに厚
顔の私も緊張したものである。
「遊びに来たまえ」という社交辞令をそのまま真に受けて、
たしかその翌日、本郷弥生町の閑静な高級住宅地にある勝本邸
を訪れたものであった。いまにして思えば顔から火が出るほど
の厚かましさであったといえよう。もっとも、北海道からの出
張で予定がとれなかったこともあるが、それにしてもいけずう
ずうしい話である。迎え入れてくれた先生はぶしつけな訪問に
もかかわらず暖かく招じ入れ、応接室でしばらく歓談のひと時
をとってくださった。「せっかく来たのだから、私の本をあげ
よう。ちょっと待ってくれたまえ。」と席を外され、30分ほど
経って本を数冊持って現れた。「残念ながら、私の本はいま持
ち合わせがないが、これをあげよう。」といって差し出された
のは、他の教授などから先生に寄贈された本ばかりである。
そして、それらの本すべてに「謹呈 半田正夫様 勝本正
晃」とペンで書き込み渡されたのには驚いた。先生にとっては
他人からもらった本も、自分の本も全く同価値であり、それを
私に寄贈するには、サインするのが当然といった、悠揚迫らぬ
おおらかさがあり、さすが大人物は違うなと痛感したしだいで
あった。
学会ができた以上、学会の機関誌を発行しなければならない
と伊藤信男先生は考えられたようで、資金集めや原稿の収集に
ずいぶんと苦闘されて昭和42(1967)年に第1号が発刊された。
通常、学会誌には研究会で発表のあった原稿を載せるのが習わ
しとなっているが、著作権法学会の場合はまだそれにふさわし
い状態に整っていなかったこともあって、伊藤先生がめぼしい
人に片っ端から原稿の提出をお願いして歩いたようである。掲
載された原稿は、東季彦先生の「創刊の辞」に始まり、論説と
して、勝本正晃(以下、敬称略)「著作権法の改正について
(1)」、土井輝生「実演家の権利の保護」、久々湊伸一「映
画著作者決定のための一考察」、半田正夫「蓄音機レコードに
関する著作権法改正」、野村義男「ベルン条約における基準保
護期間の研究」と並び、我妻栄、丹羽文雄、紙恭輔、戒能通孝、
今道潤三、安藤穣、三宅正雄の随想を挟んで、当時、文部省文
化局著作権課長で立法を担当された佐野文一郎の「ベルヌ条約
ストックホルム改正の概要」が続き、最後は伊藤信男「著作権
関係文献・資料目録」、松井正道「外国文献目録」、伊藤信男
「最近7年間著作権小年表」で閉められていた。私を除き、執
筆陣には大物が揃っていて、伊藤先生の大変な努力のほどが偲
ばれる研究誌となっている。編集後記によると、今後は年2回
の発行を目指すとしているが、実際には年1回の発行も危ぶむ
状態が続いた。研究者層が薄いせいもあって原稿が容易に集ま
らなかったためである。
学会で初めて私が研究報告をしたのは昭和45年5月22日であり、
「映画の著作権について」と題して発表を行った。そのなかで
私は、新著作権法は映画製作者の力があまりにも強く映画著作
者は極めて不利である旨を述べ、同法の施行前であるにもかか
わらず、立法論を展開したのである。この報告に対し、立法担
当者である佐野文一郎文部省著作権課長が疑義を述べ、私が答
える前に、出席していた東大の川島武宜教授が私の見解の擁護
論を主張し、あとは私を抜きにして、閉会後も二人でさかんに
論じあっていたのをいま懐かしく思いだす。
あれから時が移り、学会誕生から56年が経過する。学会誌で
ある「著作権研究」も44号を発行している。会員も500名を遥
かに超えたとか。まさに今昔の感に堪えないところである。
最近、私は学会に出席していないが、数年前に出席した際に発
言を求められ、これだけの大所帯になったのだから、AI時代に
ふさわしい新しい著作権法の構想を学会挙げて取り組んだらど
うかと提案したのだが、反応は鈍かった。まことに残念の極み
というほかはない。
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