JRRCマガジンNo.279 塞翁記-私の自叙伝38

半田正夫

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JRRCマガジン  No.279 2022/6/23
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※マガジンは読者登録の方と契約者、関係者の方にお送りしています
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◆今回の内容
【1】半田正夫弁護士の塞翁記 私の自叙伝38
【2】著作権講座中級オンライン開催について(無料)
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皆さまこんにちは。

梅雨の蒸し暑い日が続いています。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

さて、今回は半田正夫弁護士の塞翁記の最終回です。
前回までのコラムを改めてご覧になりたい方は、下記よりご覧いただけます。
⇒https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
              私の自叙伝38
     第20章 落穂拾い②     
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◆学会というところ
私が学会に初めて参加したのは、北大法学部助手(現在の助教に当たる)に採用されて、研究者の端くれに席を置くようになった1961年の秋である。
法律関係の学会としては当時最大と言われ、会員数が2,000名を超えていた日本私法学会が関西の某大学で開催されたときである。
会場に少し遅れて到着した私が目にしたものは、大教室の入り口に溢れかえっている人の群れであった。超満員で入れないものかと思ったが、遠くから来たので、なんとか座席を確保したいものと群れをかき分けて前に出てみると、最前列から数列はほとんど人影がないのに驚いた。よくみると、前から2列目の右側に民法学の最高峰である我妻栄先生が座っており、そのそばにはだれも寄り付かない、あたかも孤高の姿勢を保っているようにみえた。
そして3列目の左側には関西の天皇といわれた立命館大の末川博先生が座っており、我妻先生と同様に、まわりにはだれも座っていない状況であった。
そこで気付いたのは、学会には序列というものがあり、あの先生があそこに座るのであれば、自分はこのあたりと、自然に序列による席順が暗黙の了解としてあるのだということである。
したがって、広い大教室でも後方に行くほど混んでおり、若い研究者は座れずに、後方や横の通路に立っていなければならないのであった。学会のヒエラルキーというものの一端をここ垣間見る思いがしたものだった。

昼食時になると、われわれは与えられた弁当を持って、広いキャンパス内の芝生に思い思いに陣取って食べていると、一人の老先生を囲むようにして10人ほどの人の群れがぞろぞろ歩いているのが見えた。
まるで要人警護の人の群れを思わせる光景だ。気が付くと、同じような群れがあちらこちらに見える。いずれも学会で著名な大先生とその取り巻きである。その群れに出会うと、近くに座っていた研究者たちは立ち上がってその大先生に丁寧にお辞儀をし、大先生は「やあ、やあ」と片手をあげて鷹揚にそれに応えるといった風景がそこかしこに見られた。学会というところはこういうところなのだと、強烈に思い知らされる一瞬であった。

これは法学部だけの慣習ではなく、医学部などはもっとひどいようだ。
山崎豊子の「白い巨塔」に大学病院における教授回診の大名行列の模様を描いているが、これと同じ状況を私自身体験することとなった。1956年春に肺結核のため某大学病院の6人部屋に入院したが、教授回診が行われる日は、早朝より掃除婦がいつもより念入りに掃除をし、部屋担当の看護婦が来て、各患者の身の回りを点検整理する。患者も起き上がれる者はベッドの上に座って待機する。
病室担当の医師と看護婦は各病室の前の廊下で佇立して待機する。やがて教授が婦長を先導役とし,若い医局員10名ほどを引き連れて現れる。
まさに大名行列である。病室担当の医師が患者ひとりずつについてX写真を手に教授に容態を説明する。教授はうなずきながらそれを聴き、患者にわずかに声をかけて通り過ぎる。患者ひとりにつきわずか数分の応対である。教授が部屋を出るまで患者は座ったままでいなければならないというしきたりであったようである。
教授がいかに偉い存在であるかを思い知らされる情景であった。

私の学会デビューは、1965年、大阪大学における日本私法学会においてである。
同学会は2日間にわたって開かれており、初日は比較的若い研究者を中心とする個別報告が1時間単位で5~6個の部会に分かれて同時開催されていた。
これはいわば若手研究者のお披露目式の役目を果たしており、いまどこの大学でだれが、どのような研究をしているかを天下に示す役割を担っていた。
2日目は、大きなテーマについてのシンポジウムが大教室を使って行われるのを常としていたのである。
初日に当たる同年10月13日、私は「著作権の一元的構成」と題して報告をおこなった。当時、著作権審議会の委員であった中川善之助先生も出席されておられ、質問を受けたことを覚えている。
予定の30分をつつがなく終了し、これが後に神奈川大学に赴任するきっかけとなったのである。著作権に関する問題を私法学会で発表したのは、おそらく私が初めてで、そして最後ではなかったかと思われる。

私法学会のシンポジウムに登場するきっかけをなし、学会で名を知られるようになったのは1974年に「不動産物権変動理論」がシンポジウムのテーマとして選ばれた時である。そのころ私は、民法の難問と呼ばれていた二重譲渡の可否の問題に取り組んでいて、通説に真っ向から反対していわゆる「公信力説」を主張していたが、この年に通説との対決の場が与えられたのである。
司会者の東北大幾代教授から事前に発言するように依頼されていた私は、ほぼ同じ方向を主張する早稲田大学の篠塚教授とともに、通説側に立つ東大の星野教授らと長時間にわたり、激しくやりあったのである。司会者をしてこの学会でこれほど激しく論争されたことはかつてなかったことであるといわしめたほどの凄まじいものであった。学会というものは単なる顔見せの場ではなく、異なる意見を持つ者同士が激しく意見を戦わせる場でなければ意味はないというのが持論であったので、私にとっては格好の場が与えれたことになった。このシンポジウムの結果、私と同じ考えをもつ多くの若い研究者が続出するようになったのは非常にうれしい限りであった。

仄聞ではあるが、著作権法学会が成立したのは1962年3月で東季彦日大教授が会長として就任したとのことであった。
そして学会の創立を記念しての著作権セミナーが6月に日本大学において開催されたとのことである。当時、私はまだ北大の法学部助手としてなにを研究テーマとすべきかを模索していた時期にあたっており、著作権の「著」の字も知らないときであったので、著作権法学会の創立については全く知らずに、また関心も抱いていなかった。
私が学会の存在を知り関心を抱いたのは、1964年に著作権の権利構成に興味を抱いて研究を開始し始めたころである。

私の手帳によると、私がはじめて著作権法学会にかかわりを持ったのは、1968年5月28日、学会の打ち合わせを兼ねた著作権研究懇談会が文春ビル6Fにあった民放連第一会議室で行われたときである。会費は1000円となっている。
そして2回目は同年7月29日に同所で「著作権侵害訴訟」をテーマに開かれている。そこでなにが議論されたのかは、手帳にはなにも書かれていないので不明である。ただ紅茶を飲みながらの和気あいあいとしたものであったことは間違いなく、私が想像していたような学会というものは激しい議論の応酬の場であるといったものとはほど遠い形であったような記憶がある。

著作権法学会で私が最初に報告したのは、残念ながら当時の記録が散逸してしまい正確な日付は不明であるが、私がまだ北海道にいたころで現在の著作権法がまだ国会で審議中の段階の1966年のころであったと記憶している。
報告したのは「蓄音機レコードに関する著作権法改正」というタイトルで現行著作権法がまだ草案段階であったが、これを取り上げて批判したものであった。報告後、立法を担当した佐野文一郎氏(当時、文部省著作権課長。のちに文部事務次官)が反論し、それに対して川島武宜氏(東大教授)が再反論するという、いわば報告者抜きに議論を戦わしたという思い出がある。

この報告論文は学会の機関誌である「著作権研究1」に掲載されているが、この機関誌の発行には担当された伊藤信男氏(弁護士)の並々ならぬ努力があったもようである。学会誌であるから継続的な出版が要求されたが、当初は原稿が容易に集まらず、第2号の出版が2年後となっている。当時は大学紛争の吹き荒れた時期にも当たっていたが、研究者がきわめて少なかったことが大きな要因をなしていたようである。
先日、学会から「著作権研究47」が送られてきた。これを見ながら、時の移り行くさまの激しさを実感しているところである。

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 「人間万事塞翁が馬」という言葉が私の人生とうまく重なりあっているところから本稿を「塞翁記」と名付けて駄文を書き綴ってきましたが、タネも尽きたので、ここらへんで終わりにしたいと思います。長い間おつきあいいただき有難うございました。
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【2】著作権講座中級オンライン開催について(無料)
今年度最初の著作権講座(中級)オンラインを7月6日(水)に開催いたします。
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締 切:2022年6月24日17:30
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