JRRCマガジンNo.237 塞翁記-私の自叙伝24

半田正夫

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JRRCマガジン No.237 2021/4/23
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みなさま、こんにちは。
2021年度が始まり4月もあっという間に過ぎそうです。
これからGWとなりますが、皆さまにおかれましても
コロナのことや時節柄もございますのでどうぞお気をつけください。

さて、今回の半田先生の自叙伝は、大学長時代の続きです。

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◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
             -私の自叙伝24
  第14章 大学長時代①
        
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■大学長としての仕事の開始

大学長として最初にしなければならない仕事は、2名の副学長の選任と1名の学長補佐の選任であった。
法学部以外にあまり知己がなかったうえ、つい数週間前まで定年退職後のことばかり考え、大学、とくに青山学院大学の将来に対するなんの展望をももっていなかった私は、途端に当惑した。そこで同じ法学部の同僚であり、その熱心な仕事ぶりに感心をしていた西沢教授に白羽の矢を立て交渉する。寝耳に水ということで彼も驚いたようであったが、なんとか副学長就任の説得に成功。これに勢いを得て理工学部の辻教授に副学長就任を打診し、その承諾を取り付ける。
残る学長補佐は難航した。学長補佐は2部(つまり夜間部)担当と決まっているので、2部を開講している学部から選ばなければならないが、そうなると経済学部、経営学部、文学部の教員に限られるからであった。そこで頭に浮かんだのは、私と一緒に週刊文春の「各大学名物ゼミナールの青学篇」で紹介された経営学部の林教授である。彼とはまったく面識はないが、彼のゼミ生は有力企業に多く採用されているところから学生に評判がいいと思われるうえに、経営学博士号を取得しているところから、学者としても一流であろうと考え、彼に就任方を要請した。しばらく考えさせてほしいとのことだったが、やがて快諾の返事があり、これでようやく組閣が決まったのである。決まってからわかったことだが、私を含め執行部の4人はいずれも仏教徒であり、しかも西澤教授と辻教授はいずれも実家が寺であって、僧籍に入っているとのことで、理事長に対する面当てみたいな印象を与える結果となったが、これは全くの偶然にすぎなかったのである。

■相模原キャンパスの創設

私が大学長に就任した当時、青山学院大学は3つのキャンパスから構成されていた。
メインは東京のど真ん中の一等地にある青山キャンパスであるが、ここには人文・社会科学系学部の3~4年生が学び、世田谷区にある世田谷キャンパスには理工学部の2~4年生が、そして神奈川県厚木市にある厚木キャンパスには人文・社会科学系学部の1~2年生と理工学部の1年生が学ぶという体制が採られていた。
厚木キャンパスは、小田急線の本厚木駅からバスでおよそ30分の関東平野の西端にあり、トンネルをひとつ越えた山あいにあった。
付近には富士通などの研究施設があって、当初は研究学園都市を標榜したようであったが、駅から遠いのが難点で、われわれは自虐的に関東のチベットと呼んでいたくらいであった。
授業が終わるのが17時50分。大学発の最終バスが18時であったから、授業が終わると学生も教師も一目散にバス停に走り出し、バスの発車したあとはキャンパスは無人の館となった。夜遅くまで研究室の灯が燈るというのが大学の姿であったから、灯りがみえない建物はとうてい大学とはいえない異常な情景であった。
このような異常な状況をなんとか解消しなければ少子化の時代に生き残ることは出来ないと教職員が一致して考えるにいたった。
さらに加えてグラウンドをどうするかという問題が発生した。
当時、青山学院大学には体育会系用地として神奈川県綱島にグラウンドを所有しており、野球場、陸上トラック、サッカー、ラグビーのグラウンドのほかに、馬場としても使用していたのだが、近隣の土地が宅地化されるに及んで、馬場からの悪臭や馬糞風が苦情を呼ぶようになり、馬場の移転先をも探さなければならないという事態も生じるにいたった。
 
このような状況のときに、法人は相模原市に格好の土地をみつけた。
この土地は新日鉄の研究所として使用されていたもので、土地が広いうえ、なによりも最寄りの駅まで徒歩7分という好立地条件にあった。
当初、法人はこの土地を馬場として使用しようと考えていたもようであるが、立地条件の良さから馬場としての使用を辞め、校舎用地として使用しようとの意図のもとに購入を決定したのである。
 
法人がこの土地を購入して大学にその使用について一任したのは、私が大学長に就任してほぼ1か月を経過した時点である。法人が購入を決めた時点で、この土地は厚木キャンパスの学生をここに移転することについては、いわば既定の事実であったといえる。
しかしながら、厚木キャンパスの学生を移すだけでは、莫大な費用を投じたにもかかわらず、厚木からの撤退というマイナスイメージを一般に植え付けるだけにすぎないことから、なにか新しい付加価値を付けることによって、21世紀に達した今日、本学が新しい理念にもとづき一大攻勢に出たという印象を内外に示す必要があると私は考えた。
 
そこで私は、4月4日、学内に各学部の代表者からなる新校地基本計画委員会を設置し、上記の付加価値としてなにが適当かについて諮問したのである。
諮問にあたっては、過去の厚木キャンパスの決定が当時の理事長の独断によるもので、教育機関である学部の意思がまったく無視されたという苦い経験の反省に立って、全学部が一致して賛成する案を採用することを約束し、建設に要する工事期間との関係から3か月で結論を出すこと、を要請した。
 
執行部の試案としては、①厚木キャンパスの1・2年生の全部を相模原キャンパスに移すこと、②世田谷キャンパスの理工学部を全部相模原キャンパスに移すこと、③相模原キャンパスに文理融合型の新学部を創設すること、を考えていたが、新校地委員会の結論も幸いその方向で動いていた。ところが、肝心の理工学部の大勢は、世田谷から相模原に移転することは「都落ち」となるので反対との意向であった。
当初から全学部の賛成が得られなければ決定しないと宣言していただけに、理工学部の反対があれば執行部案が瓦解し、振り出しに戻ることになる。そこで前例のないことであるが、学長みずから理工学部教授会に出席して説得にあたるということにした。
 
2000年6月14日、私は財務担当のK常務理事を伴って世田谷キャンパスにある理工学部の教授会に赴いた。
われわれが理工学部の教授会に出席するということは理工学部長の要請によるものであったが、行ってみると、教授会というのは教授で構成されているのであるから、学長が教授会に出席するのはいいが、K氏が出席するのは困るというわけで、K氏の出席は拒否されたのである。
K氏は財政担当の責任者であり、理工学部の移転に関する費用の支出面を担当しているので、彼が出席して発言することは彼らを説得する決め手となるのみならず、呼んでおいて出席を拒むというのは極めて失礼な話であると私が主張したが、間に入った学部長はただ困惑するばかり。
そこで私が、教授会を一時中断し、懇談会に切り替えてK氏から意見を聞くということにしたらどうかと提案し、それならば差し支えないとの教授会の承認を得て、われわれは初めて100名を超える大人数の教授会(名目は懇談会)に出席することが叶ったのである。

教授会に入った最初の印象は、敵意むき出しの者3分の1、学長が来たというので何を話すのか興味津々という者3分の1、この問題にまったく関心を示さない者3分の1といったところであろうか。冒頭、私は日ごろの協力に感謝したあと、理工学部が学部全体をあげて相模原キャンパスに移転するという執行部提案にいたった理由について縷々説明し、協力方を要請した。次いでK常務理事が移転についての諸費用の負担について学院として責任をもって処理する旨の説明がなされた。
その後、質疑応答に入り、主としてK常務が財政面から答える。
研究室が狭いから広げてほしいという要望に対しては1.5倍の広さのスペースを確保するなど、法人サイドでなければ答えられない問題が多く、K氏を連れてきたことが適切であったことが証明された感があった。
世田谷から相模原に移るのは「都落ち」となると異論を唱える教授もいたが、それに対しては私から、「どうしても理工学部が移転に応じないというのであればそれも結構。だが大学としては理工学部抜きでも相模原キャンパスの創設は法人の方針として行うつもりだ。
その際、相模原キャンパス建設のため法人が理工学部の建物の建て替えのために用意した財源すべてが投与されるので、理工学部の建て替えはかなり先になることを覚悟してもらいたい。老朽化して古い設備のキャンパスにとどまって不便を強いられるのがいいか、新しい環境と設備でじっくり研究ができるのがいいか、その選択はそちらにお任せする。」となかば恫喝ともいえるような発言をする。
じつは、相模原キャンパス問題が浮上する以前は、法人による校舎の建て替え計画の次の第一順位に理工学部が上がっていたのである。
世田谷にあるキャンパスの建物は老朽化しているうえに、長年の継ぎ足し工事により廊下は迷路化していて使用に不便を強いられていたのである。
そこで同学部の強い要請により、法人としては建て替えのためある程度の資金を蓄積していたのである。
だが、キャンパスの敷地は狭隘で、建て替えのためには狭い空き地に1棟建てて移動するという作業を繰り返えさざるをえなくなり、全館完成にはかなりの長期間を要するのみならず、その間、建築工事の騒音に悩まされて精密な実験は出来なくなるおそれがあり、このような苦労をして工事が完了しても21世紀にふさわしい理想的な学部構成ができるという保証はなかった。
ところが、相模原キャンパスでは真っ白なキャンバスに自由に絵を描くように、各学科が有機的に結合した理想的な建造物を短期間で建築できることが可能であった。
この点を私は繰り返し主張したつもりであった。あとで同行の職員から「学長、思い切ったことを言いましたね。」と言われる。

数日後、理工学部長から、学長が帰ったあと、教授会で激論の末、移転に同意するとの決議を得たとの報告を受けた。この報告を受けたとき私は、最大難関を突破したとの実感と学長として4年間やりぬけるとの自信をはじめて得たのである。

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