JRRCマガジンNo.192 塞翁記-私の自叙伝9

半田正夫

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JRRCマガジン No.192 2020/1/30
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みなさまこんにちは。
新型肺炎やインフルエンザが猛威をふるう中ご自身の感染の心配もさることながら、
とりわけ家族に受験生をお持ちの方は気が気でない日々を過ごされているのではないでしょうか。

今注目されているマーケティング思考「ファンベース」の提唱者であり、
コミュニケーションディレクターの佐藤尚之(さとなお)さんは、娘さんが受験の時、こう言って送り出したそうです。
(出典:https://note.com/satonao310/n/n974c5562a1c9)

『もし受かったら「そっちの方がいい人生」。もし落ちたら「そっちの方がいい人生」。』

この日のために尽くしてきたのだから、希望が叶うことが一番だけれども、
たとえ希望しなかった方に歩んでいったとしても、「いい人生」になる出会いやきっかけは誰にでも必ず訪れる。
逆に「そっちの方」に行かなかったからこその特別なや経験や知見が得られることもある。
私自身もさとなおさんの言葉を実感している一人です。

『そっちの方向に、楽しく面白い人生が、必ず待っている。』

受験生を持つご家族はそんな気持ちで見守ってあげてほしいと思います。

さて今回のコラム半田先生の塞翁記、こちらは受験を終えて一足先に新しい春を迎えました。
前回までのコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記-私の自叙伝9━

第4章  大学生時代

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◆北大に入学して

1952(昭和27)年4月、北海道大学一般教養部文類に入学した。入学宣誓式は4月16日10時からであった。
入学金は400円、授業料は1期分3000円。当時、北大は文類と理類に分けて入学を許可しており、
1年半の一般教養課程を経てから、文類は法学部、経済学部、文学部、教育学部に志望によって分かれて進学することになっていた
(なお、理類は同様に、理学部、工学部、農学部、医学部、水産学部に分かれる)。

文類の1年生は全体で240名であり、これが4クラスに分属され、私は第二外国語をドイツ語としていたことから2組に配属された。
クラスメイトは50名。まだ女子の大学進学率の低い時代であったから、クラスメイトで女子はわずか2名にすぎなかった。
同級といっても講義を一緒に受けるのは必修科目である英語、ドイツ語と体育のみで、あとは選択科目ごとにバラバラであった。
 一般教養部専用の独立した校舎はまだなく、広いキャンパスに点在する各校舎の空き部屋を利用するというもので、
短い休み時間に移動するというのは至難の業であったが、幸いなことにおおらかな時代であったためか、休講が多いうえ、
授業があっても開始時間に10分以上遅れて教室に現れる教授がほとんどであったから、急いで教室に駆けつけるという経験はほとんど記憶にない。
当時の講義の大部分は、教授がゆっくり読み上げる文章をノートに筆記するという方法が採られていた。
授業時間は90分であったので、筆記作業は相当に疲れるものであった。教授のなかには早口で話す者もいて、われわれは必死に書き写す作業に専念した。
それでも追いつけずにノートの途中で空白の箇所が多くなるという講義もあった。
しかし、学生のなかには速記記号を使って難なくノートを採る者もいて、彼のノートは後日皆に回覧されて穴を埋めることができた。

大学に進学して高校とは違うなあと思ったのは、ドイツ語の学習が始まったことであった。
ABC・・の発音練習から始まり1年の前期で文法を習い、後期にはアルト・ハイデルベルクを通読するまでになり、
2年の前期にはエッカーマンの「ゲーテとの対話」を読むという急ピッチの授業であった。
また英語の授業も高校のときのように短い文章をじっくり読むというやりかたではなく、
オー・ヘンリー短編集やディケンスのオリバー・ツイストを1回の授業に10数頁を読み進むといった方法がとられた。
特に私が興味をもったのは数学の授業であった。高校時代にすでに解析Ⅰや解析Ⅱを履修していたので微積分の高度な勉強を期待していたのであったが、
実際に行われたのは、ユークリッド幾何学のいわば入門篇の部分であった。
たとえば、「2点を結ぶ最短の線は直線である」といった定義から始まり、
公理、さらには公理を踏まえて定理に進むという理論の立て方は学問というのはこういうものだということを知らされ、大いにショックを受けた。
後年、不動産の二重譲渡に関する論文を書いて世に問うた際にこの方式を利用させてもらっている。

もっとも面白かった授業は体育であった。最初の授業のとき教師はわれわれを一堂に集め、
「これから駆け足をおこなう。はいっ、進め。」と号令をかけて、広大な北大構内の隅にある野原に連れて行かれた。
そこには農学部の付属農場が広がっており、その横には小川がチョロチョロと音を立てて流れているといった牧歌的な風景があたり一面を包んでいた地域であった。
そこまで来たとき、教師はわれわれを集め、

「お前たちはこれから高度な学問を積んでいくことになるが、頭が疲れたときはここに来い。草原に寝転んで浩然の気を養え。そして思索にふけろ。それがお前たちを大きくするのだ。」
と言った。

その言葉に感動した私は、折に触れ、そこを訪れては寝転がったものだった。小川のせせらぎと揚げ雲雀の鳴き声とが相まって眠気を誘う至福の一時がそこにあった。

つづく

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