JRRCマガジンNo.174 塞翁記-私の自叙伝2

半田正夫

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JRRCマガジン No.174   2019/8/29 
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学生の夏休みも終盤、既に新学期が始まった学
校もありますね。
この時期になると事務局には課題や自由研究の
ための図鑑や書籍の複写利用相談が多く寄せら
れます。
最近は小学生も自ら電話をしてくることが多く
なりました。
私自身は宿題を適当にやり過ごしてきたので、
一生懸命電話口で相談される姿勢に毎回関心し
きりです。課題を進める中で著作権に気づき、
問い合せをくださったことがとても嬉しく、
答えながら少しでも役に立てればとの思いを
一層強くしています。

さて、今回は
半田正夫弁護士の「塞翁記-私の自叙伝」第2回
をお届けいたします。
第二次世界大戦勃発直前という暗鬱な空気が忍
び寄る中、馬糞風の舞う札幌の尋常小学校に入
学した半田先生が体験する、当時の学校で行わ
れていた特別な行事と学校の中で、一番大切に
されていたあるものとは。

前回のコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記-私の自叙伝2━

第1章 小学生時代

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◆奉安殿と式典

戦前の学校はどこでもそうであるが、校門を入
ると、そこに鉄筋コンクリート造りの奉安殿が
立っていた。
ここには教育勅語と昭和天皇と皇后陛下の写真
が安置されており、最小では高さは1.5メート
ル、奥行きは85センチ、幅1.2メートルである
ことが決められていたようである。

登下校のたびごとに生徒はこの前で脱帽・最敬
礼することが義務づけられていた。万が一火災
が発生したときは、校長はなにをおいても奉安
殿に安置されている勅語と両陛下の写真を避難
させなければならなかった。このため猛火のな
かを取りに行き殉職した校長の話が美談として
語られたほどであった。

1月1日の四方拝、2月11日の紀元節、4月29日の
天長節(天皇誕生日)11月3日の明治節(明治天皇
の誕生日)は四大節と呼ばれ、当日は授業がな
く、式典のみが行われた。

式典は屋内運動場で行われた。「君が代」の斉
唱に始まり、全員が最敬礼しているなかを校長
が恭しく壇上の紐を引くと、壁に両陛下のセピ
ア色に変色した写真が現れる仕組みとなってい
た。やがて威儀を正した教頭が奉安殿から黒の
漆塗りの箱に納められた教育勅語を式場に運び
入れ、檀上の校長に手渡すと、校長はあたかも
玉手箱を開くようにしずしずと蓋を開け、巻物
状になっている勅語を取り出す。

そして一礼したあと、

「朕思うにわが皇祖皇宗国をはじめること宏遠
に徳を樹つること深厚なり・・」

と荘重な語り口で読み始める。

一字一句正確に読むことが要求され、読み間違
えると校長の進退問題にかかわるとまでいわれ
たほど緊張を強いられたものであったらしい。
読み終わるまでの数分間、われわれは直立不
動、黙とうの姿勢で聞くことが要求され、
一刻も早く終わるのをひたすら待った。
そして終わると、一斉に鼻をすする音が聞こえ
るのが常であった。当時、学童は栄養状態がよ
くなかったため、鼻をたらすのが当たり前であ
ったのである。

勅語奉読のあとは校長の訓話があり、最後は式
典の歌を歌ってお開きとなるのだが、四大節ご
とにその歌が異なり、

そのなかでも、

「アジアの東 日出ずるところ 聖の君の現れ
まして・・」

で始まる明治節の歌が一番好きであった。

式典が終わったのちは、紅白の餅をもらって下
校するというのが例であったようだが、われわ
れが入学したときは非常時ということもあっ
て、餅の配布は中止となっており、手ぶらで
帰るしかなかった。

◆子どものころの札幌

昭和10年代の札幌は人口20数万人程度で、道内
では函館に次いで2番目を誇っていたが、
いまから考えるとずいぶん田舎っぽかったよう
な気がする。
当時のこととて車はほとんど走っていなかった
から、計画的に作られた碁盤目状の街路はすべ
て広く、子どもが遊ぶには格好の場所だった。

学校から帰ると夕食で家から呼び声がかかるま
で、友人たちと遊んだものだった。
遊びの主なものは、かくれんぼ、石けり、鬼ご
っこ、ビー玉、ちゃんばら、などだった。
遊んでいても交通妨害になるようなことはなか
った。車が通る心配はないし、せいぜいたまに
荷馬車が通るぐらいのものであったから。
 
夕食後には家族とともに銭湯に行った。
銭湯はごった返すほどの混みようで、洗い場を
見つけるのに骨が折れたものである。湯壺は人
垢で汚れ切っていた。
そのなかで入歯を洗う老人などがいる一方、
知らん顔で小便をする子どももいたりで、
いま考えれば不潔きわまりなかったようである。
帰途、厳冬期では歩くたびにキュッキュッと乾
いた音を立てて履物が鳴り、空には天の川をは
じめ一面の星空が広がり、家に帰るとタオルが
コチコチに凍っていたのを思い出す。夜中に目
を覚ますと、遠く札幌駅構内で貨車の入れ替え
作業をやっているようで、
ポッ シュー ガチャンという音が聞こえ、
また時計台の鐘の音が時々聞こえたものである。
それほど静寂だったということのようだ。

市内の交通機関は市電であった。
さして広くない札幌市内を縦横に走っていたの
でこれを利用するのが市民の常であった。
私はとくに西二十丁目の停留所から単線となる
円山線に乗るのが好きであった。
この線は同停留所からそれまでの複線が単線と
変わり、それが一直線に終点の円山公園まで続
いていて、2本の線路の間には雑草が生えてい
るのがなぜか新鮮に映りローカル線じみていて
気に入っていた。
終点に着くと、車掌が架線ポールを引っ張って
反対側にぐるっと回すのが面白く、見とれてい
たものである。
冬になり雪が降ると、除雪車が出て車道の除雪
はするが、これは雪を線路から回りにはじき出
すだけであったから、線路内はきれいに除雪さ
れているが、人の通る道は雪の山となり、われ
われはこの上を歩くか、電車の通らないときは
線路内を歩かなければならなかった。

つづく

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