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JRRCマガジン No.240 2021/5/27
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さて、今回の半田先生の自叙伝は大学長時代の続きです。
どうぞお楽しみください。
前回までのコラムはこちらから
⇒https://jrrc.or.jp/category/handa/
◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記━━━━━━
-私の自叙伝25-
第14章 大学長時代 ②
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■大学長としての業績
私が大学長として4年間の間に行った業績は多岐に及ぶ。思いつくままに掲げてみると、
1)相模原キャンパスの創設、2)青山スタンダード科目の設置、3)相模原キャンパスにおける事務機構改革、4)総合研究所改革、5)機器分析センターの設置、6)理工学部主管助手問題の解決、7)WTO研究センターの設置、8)父母懇談会の全国毎年実施、9)強化指定部制度の導入、10)大学入試センター試験の導入、
11)高等部との連携強化-学部入門講座の実施、12)青山キャンパス学生食堂の改装、13)21世紀COEプログラムの採択、14)大学長メールアドレスの公開、15)大学同窓祭における大学長室オープン、16)各国大公使による講演シリーズの実施、17)国連大学との提携、18)青学ベンチャーネットワークの設立、19)AGUニュースの発刊、20)法科大学院の設立、
21)社会に開かれた大学としての各種講座の開講(渋谷警察署員対象の法務関係公務員特別教養講座、東京国税局職員対象の税務専門講座など)、22)校友会との連携強化、などである。もちろんこれらの改革は私ひとりで行ったのではなく、執行部をはじめ改革の趣旨に賛同した多くの教職員の熱心な協力によるものである。
このほかにも、前執行部時代からの引継ぎ事項であり、われわれの時代に達成したものとして、ガウチャーメモリアルホールの完成、理工学部の改組、私学としての初の専門職大学院である国際マネジメント研究科の発足、心理学科の創設などがあり、いずれも青山学院大学の活性化の一因をなしている。
このように青学が動いているという印象が外部にも伝わったためか、受験生の数は急激に増加の傾向をみせはじめ、少子化で他大学ではの軒並みに受験生を減らしている昨今でありながら、青山学院大学では私の在任中で1万人以上の増加をもたらし、総数で4万人の大台を超えるにいたったのである。
■21世紀COEプログラムへの挑戦
以上のように、わずか4年の間にキャンパスの移転をはじめとする多くの改革を行い、それぞれに思い出はつきないところであるが、なかでも特記すべきは文部科学省が企画・立案した21世紀COEプログラムに挑戦を決意したことである。
これは遅れているといわれている日本の学術水準の底上げを図り、世界最高水準の研究拠点の確立をめざすために、文科省が特定の研究拠点に多額の研究費を支給するというものであった。1つの研究テーマごとに億単位の研究費が交付されるが、分野は10に分かれ、初年度は5つの分野について選考が開始されるというニュースが流れたのである。このニュースを聞いた私は、青学を世に知らしめる絶好の機会ととらえ、理工学部に応募するように勧めた。
ところが当の理工学部では準備その他の理由から次年度に応募することを決めており、初年度に応募することは見送るという方針であった。
そこで私は、このような国家的プロジェクトは初年度に応募することが重要であり、ニュースバリューもあるのでマスコミに取り上げられるが、次年度ではその価値が薄れて取り上げられない可能性が高い、よって初年度に応募するようにと強く勧めた。その結果、理工学部は急遽態勢を整えて応募することとした。
文科省の選考委員会の席には私も呼ばれ、「私学ではこのような大きなプロジェクトを実施することができるのですか」との揶揄ともとれる委員の質問に対し、「国公立大学では予算の枠に縛られて思うようにできないことはあっても、私学ではそこは融通無碍で、これはと思う研究テーマについては他を犠牲にしてまでも一点集中で力を注ぐことができる。
今度のプロジェクトはそのようなものと理解している」と力説した。あとで聞くと、この力説が功を奏したようで、化学・材料科学分野において私学としては早大、慶応大と並んで青学大のみが勝ち取ることができたのである。これは一般には意外な結果と受け取られたようで、マスコミに大きく取り上げられ、私の思惑は達成されたのである。
■大学長としての思わぬ経験
学長をしていると、校務のほかに思わぬ経験をさせられることがある。そのうち2つを紹介しよう。
(a) 皇居「松の間」に参内
皇居にある「松の間」は、最も格式の高い儀式にのみ使用される正殿で、広さは370平方メートル。床は欅の板張りという簡素ではあるが荘厳なたたずまいで、テレビカメラは隣室からガラス窓越しに撮影するという仕組みになっている。
私はこの正殿に「歌会始めの儀」と「講書始の儀」の2回、私大代表者として招かれて参内したのであり、当時、皇太子妃であった雅子妃とはわずか数十センチほどの近くに参列して緊張していたことを覚えている。
儀式の終了後、われわれ陪席者は別間に通され、そこで酒肴を供されるのであるが、酒はともかく、朱塗りのお膳に載せられた黒豆、キントン、紅白の蒲鉾などはあらかじめ用意されたビニールの袋に詰めて持ち帰るという習わしになっていることを、はじめて知らされることになった。
ただ、用意されているビニールの袋は1枚のみであり、そこに黒豆やキントンなどを詰め込むと、一見生ごみ風であり、それをモーニングなどで威儀を正した陪席者が持ち運ぶというのは、傍目には奇妙な図柄であったにちがいないと今では思っている。
(b) 東都大学野球の始球式
東都大学野球は連盟加盟の21大学が強い順に4部に分かれて春と秋にリーグ戦を行っているが、1部の優勝校の代表者が次のリーグ戦の開幕ゲームの始球式を務めることになっている。
学長になった最初の年、たまたま青学が東都大学野球1部リーグに優勝したことから、次のリーグ戦の開幕試合の始球式に出ることになった。
神宮球場のマウンドに立った感激はいまでも忘れることはできない。野球をやったことは子供のころゴムまりで遊んだことがあるのみで、硬式野球の固いボールを握るのは初めての経験であった。
ままよと、大きく振りかぶってキャッチャー目掛けて投げたのはいいが、ボールは大きく逸れて、しかもマウンドから数メートル先の地面にめり込んだだけ。
打者はそれでも儀式に従ってカラ振りをしてくれ、審判がストライクを宣言してくれて式はめでたく終了したのである。
ぶざまではあったが、神宮球場のマウンドからボールを投げれたのはいい経験だったと思っている。
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