JRRCマガジンNo.374 最新著作権裁判例解説20

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JRRCマガジン No.374    2024/6/20
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◆今回の内容
【1】濱口先生の最新著作権裁判例解説
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皆さま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

本日6月20日は「ペパーミントの日」
6月の北海道の爽やかさがハッカそのものであることと、「はっか(20日)」の語呂合せにちなみ、ハッカが特産品の北海道北見市まちづくり研究会が1987(昭和62)年に制定したそうです。

さて今回は濱口先生の最新の著作権関係裁判例の解説です。

濱口先生の記事は下記からご覧いただけます。
https://jrrc.or.jp/category/hamaguchi/

◆◇◆━【1】濱口先生の最新著作権裁判例解説━━━
最新著作権裁判例解説(その20)
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               横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授 濱口太久未

 今回は、東京地判令和5年9月27日(令和3年(ワ)第28914号)〔「Life 生きてゆく」映画事件〕を取り上げます。

<事件の概要>
 本件は、「Life 生きてゆく」と題するドキュメンタリー映画(以下「本件映画」という。)を制作し、本件映画に係る著作権を有する原告(名古屋のテレビ局に勤務していた)が、被告(日本テレビの報道局で記者・ディレクターなどとしての勤務歴があるノンフィクションライター)が「捜す人 津波と原発事故に襲われた浜辺で」と題する小説(以下「本件小説」という。)を執筆、出版したことが、原告の翻案権、同一性保持権、氏名表示権を侵害し、また、原告の表現活動という法的保護に値する人格的権利ないし利益を侵害したと主張して、不法行為に基づき、346万円及び本件小説を掲載した書籍の販売が開始された平成30年8月10日から支払済みまで平成29年法律第44号による改正前の民法所定の年5分の割合による遅延損害金を請求する事案です。

<判旨>
 原告の請求を棄却。
「原告は、本件小説と本件映画において、別紙著作物対比表記載の各場面のうち、下線が引かれた各部分について、原告の表現を被告が利用したと主張する。
上記の各部分は、Cが語る自身の心情(場面1から6、9、10-②のうち2つ目、3つ目の下線部、場面12、16)、Cが語る体験した事実(場面7、10-②の1つ目の下線部、場面13の1つ目の下線部、場面14)、環境省による住民説明会におけるDの発言(場面8)、Cの長女が通っていた小学校の卒業式当日の様子(場面10-①、10-③)、Cの妻が語る東日本大震災後に生まれたCの次女の発言(場面11)、解体されるCの自宅やその内部の様子、その際のCの様子(場面13の2つ目以降の下線部、場面15)、Dの次女の遺骨発見時の様子及びDの発言(場面17)である。
上記のうち、環境省による住民説明会におけるDの発言(場面8)、Cの娘が通っていた小学校の卒業式当日の様子(場面10-①、10-③)、解体されるCの自宅やその内部の様子、その際のCの様子(場面13の2つ目以降の下線部、場面15)、Dの次女の遺骨発見時の様子及びDの発言(場面17)は、現実に存在した出来事や状況などの事実に関するものといえ、本件映画の映像で示された出来事や状況と、本件小説において文章で記載された出来事や状況は共通する。したがって、本件映画と本件小説は同じ事実を描写しているといえる。もっとも、個々の、現実に存在した出来事や状況などの事実を表現それ自体であるということはできない。そうすると、同じ事実を描写したことをもって、本件映画と本件小説の表現が共通するとはいえない。
また、上記のうち、原告のインタビューに応じるなどしてCやCの妻(以下、併せて「C等」ということがある。)が、自身の心情や体験した事実等について語ったもの(場面1から7、9、10-②、場面11、12、13の1つ目の下線部、場面14、16)は、C等によってされた発言である。ある者の発言について、その発言内容を準備した者がそれを発言者に語らせるなどした場合、その発言内容を準備した者の表現となる場合があるとはいえる。もっとも、本件ではそのような事情までは認められず、上記は、いずれも、C等が自ら言葉を選んでその心情等について語ったものと認められ、C等による表現であるといえる。原告は、C等の心情についての各発言について、原告が適切な質問をしたり、カメラの位置を工夫したりしたこと等によって初めて発言者から引き出したものであることや、原告との信頼関係を基礎としてしか表現されなかっ
たものであり、原告がいなければ存在し得なかったことなどを主張する。確かに、質問内容や状況、質問者との関係等に応じて初めて特定の発言がされることがあり、本件でも、原告はCに対して原告が有する視点に基づいて様々な質問をすることによってCが返答していったという状況がうかがえ・・・、原告の質問等に応じてCの上記発言がされた面があることがうかがわれる。しかし、他者の影響を受けてされた発言について、影響を与えた者が当然にその表現をした者になるとはいえない。本件において、上記のとおり、C等は自ら言葉を選んでその心情等について語っているといえ、原告が主張する事情は、別紙著作物対比表に記載されているC等の上記発言について、原告による表現であるといえるまでにそれらに原告が創作的に関与していることを基
礎付ける事情に当たるとは認めるに足りない。上記のC等の発言が原告による表現であるとした場合、C等はそれを自らの表現として主張、利用できなくなる。」
「ドキュメンタリー映画においては、制作者の意図に基づいて、多数の事実の中から特定の事実が選択された上でそれらについての映像が配列され、創作的な表現がされて著作物が創作されるといえる。また、取材によって新たな事実を見出すことや、質問等を工夫することで対象者から発言を引き出すことがされることがあるといえ、それらを用いて上記の創作的な表現が行われる場合があるといえる。本件映画は、このようなドキュメンタリー映画であり、著作物であるといえる。
もっとも、制作者の意図に基づいて多数の事実の中から選択された事実についての映像が配列されたドキュメンタリー映画が著作物であるとしても、個々の、現実に存在した出来事や状況などの事実を表現それ自体であるということはできず、個々のそれらの事実を述べること自体を著作権法に基づき特定の者が独占できるとはいえない。このことは、それらの事実が上記のようなドキュメンタリー映画の中で利用されているものであったとしても同様であると解される。また、前記・・・のとおり、本件においては、C等の個々の発言が原告の表現であると認めるに足りない。
また、ドキュメンタリー映画においては、制作者の意図に基づいて、特定の事実が選択されてそれが配列されているといえる。原告は、別紙著作物対比表記載の各表現において、本件映画の表現上の本質的な特徴を本件小説から直接感得することができると主張するところ、本件映画と本件小説において、上記場面等は選択の上、配列されたものといえる。もっとも、本件映画及び本件小説とでは、これらの場面の間に多数の場面が描写されることも多いほか(別紙著作物対比表の該当部分の時間や頁参照)、その順序は異なり(本件映画では、場面1、3、2、4、6、12、8、5、9、7、11、10、16、14、13、15、17)の順で収録されているところ、本件小説では場面1から17の順で記述されている。)、特に、Cらが心情等を語る場面については、映画における配列と小説における配列は大きく異なる。
また、本件映画と共通する配列の部分があったとしても、本件小説は、基本的に時系列に沿って記載していて、そのような配列が共通することをもって創作的な部分が共通するとはいえない。本件映画の具体的な場面の多くは本件小説で取り上げられておらず、本件小説において、各章においてCを取り上げる項目のみをみても、本件映画で取り上げられていない具体的な場面の記載は多くあり、本件映画と場面が同じでも文章により詳しい説明が付されている部分も少なくない。
Cの自宅の解体場面(別紙著作物対比表場面13から16)についてみると、本件小説では、できれば自宅を残したかったが処分費用に対する公金の支援が近く打ち切られることから解体することとしたこと、長男と長女が元気ならとっくに壊していたと思うが、この家があるから長男と長女があのときここで遊んでいたなとか思い出すことができること、家がなくなるとそれを思い出すことができなくなることについてのCの心情が述べられた上で、別紙著作物対比表場面13の記載がされ、その後同14の記載がされる。
そして、同15の記載がされ、Cにはさまざまな感情が湧き上がり、Cの父のことが胸に浮かび、旧居の10畳の茶の間や太い大黒柱など立派な日本家屋は父にとって唯一の自慢であって、父が家族のために働いて立ててくれた家であり、農家をやりながらこのような家を建てるのが大変だったと思うことや、そのような苦労も知らず父とは喧嘩ばかりして、感謝を言わなかったというCの心情が述べられ、その上で、同16のとおり、「家も、家族も……結局俺は、なんにも守れなかったなぁって… …」と記載され、また、Cは、泣いていたが、自分は見届けなければならないという気がしたと述べられている。これらからすると、本件映画における別紙著作物対比表の原告著作物欄記載の場面についての選択や配列についての創作的な部分が、本件小説で使用されたとまではいえない。
以上によれば、本件映画と本件小説には、別紙著作物対比表記載の各描写がある。そのうち、本件映画と本件小説には同じ事実を描写する部分があるが、個々の、現実に存在した出来事や状況などの事実を表現それ自体であるということはできず、同じ事実を描写したことをもって、本件映画と本件小説の表現が共通するとはいえない。また、本件においては、本件小説において被告がCらの発言を利用することが原告の著作権を侵害することになると認めるには足りない。ドキュメンタリー映画においては制作者の意図に基づいて特定の事実の選択と配列がされるといえるが、それらについて原告主張の本件映画の創作的な部分が本件小説で使用されたとまではいえない。被告が本件小説において、原告が著作権を有する本件映画の創作的表現を利用したということはできず、被告が原告の翻案権、同一性保持権、氏名表示権を侵害したとは認められない。」

<解説>
 今回の事案も前回と同様、事案自体はシンプルなものとなっています。判決文において言及されている「別紙 著作物対比表」は裁判例検索サイトにおいて公開されていますので、適宜ご参照ください。https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/462/092462_option1.pdf
 さて、今回は東日本大震災に絡むドキュメンタリー映画と小説とに係る著作権侵害の事案です。
 判決文において明らかにされている原被告の関係性として、原告が本件映画製作の資金調達のために行ったクラウドファンディングに対して被告が3000円の支援を行い、応援メッセージを送信していたこと(平成27年11月)、本件映画の完成前イベントに被告が参加していたこと(平成28年3月)、被告が補助参加人から出版の打診を受けた際に、被告から原告に対して本件映画のDVD購入の打診がなされ、原告からは「本件映画の映像を執筆の材料にする目的なら譲渡することはできず、独自取材で発信すべきである」等の返信をしていること(平成29年4月~5月)、被告が原告と面会し、書籍の登場人物の一人として原告を登場させたいので取材を受けてほしい旨の依頼をしたが原告がこれを断っていること(平成29年7月)の諸点があります。
 加えて、両作品ともテーマ的に同一のものを扱うノンフィクション作品として、その取材対象が一定程度類似していることもあり、ぱっと見では著作権侵害が肯定されるものとの印象を抱きやすくなる事案ですが、判決では江差追分事件最判(注1)以降の各裁判例と同様に両作品における創作表現の共通性の有無について検討がなされ、非侵害の結論が出されているところです。
 この創作表現の共通性の有無を考える際には、(二段階テスト/濾過テストのいずれによる場合であっても、最終的に)両作品の共通性のある部分が表現・アイデアのいずれの部分なのか、表現部分の共通性があると考えられる場合でもそれが創作表現の部分であるといえるのかどうか、に着目して判断することになるところ(注2)、この点については今回の判決でも踏襲されているのですが、本解説(その2)で申したように、ノンフィクション作品には中にはそうした種々の事実が盛り込まれることになる点に関して、著作物性との関係では事実自体は保護されないということが法制上の建付けとなっていること、
さらに原告側の主張に丁寧に対応することを企図していることの諸点から、今回の判決においては、大きく分けて、①原被告両作品中で対比される個別の表現箇所の共通性が「事実」なのかどうか、②特定箇所の表現に着目した場合に、特にインタビュー時の発言のように、その表現の生成過程に複数人(インタビュアー・インタビュイー)が関与しており且つ映像制作意図との関係上その生成に一定以上の影響を及ぼす者(映像制作者たるインタビュアー)がいるケースにおいて、その創作者は誰なのか、③上記②に関わって、ドキュメンタリー映画に係る表現上の創作性はどこに存すると解されるのか、の諸点についての判断が示されているところです。
 これら①~③のうち、今回の事案という個別事情の点から重要になるのは②・③であるところ、②に対応する原告のインタビューに応じてCやCの妻が自らの心情や体験した事実等に関して語った部分については、事実との整理ではなくC等による表現であるとされています。
 この点については、インタビュー記事の著作者等が争われた裁判例(注3)において「・・・インタビュー等の口述を基に作成された雑誌記事等の文書については、文書作成への関与の態様及び程度により、口述者が、文書の執筆者とともに共同著作者となる場合、当該文書を二次的著作物とする原著作物の著作者であると解すべき場合、文書作成のための素材を提供したにすぎず著作者とはいえない場合などがあると考えられる。すなわち、口述した言葉を逐語的にそのまま文書化した場合や、口述内容に基づいて作成された原稿を口述者が閲読し表現を加除訂正して文書を完成させた場合など、文書としての表現の作成に口述者が創作的に関与したといえる場合には、口述者が単独又は文書執筆者と共同で当該文書の著作者になるものと解すべきである。
これに対し、あらかじめ用意された質問に口述者が回答した内容が執筆者側の企画、方針等に応じて取捨選択され、執筆者により更に表現上の加除訂正等が加えられて文書が作成され、その過程において口述者が手を加えていない場合には、口述者は、文書表現の作成に創作的に関与したということはできず、単に文書作成のための素材を提供したにとどまるものであるから、文書の著作者とはならないと解すべきである」と判示された点と一定の関連性をもった判断がなされているものであると解されます。
即ち、インタビュイーによる発言・コメントはインタビュアーとインタビュイーとの具体的なやりとりによってその創作者が決まることになるのでありインタビュアーが創作者とされる場合もありうるという点はどちらの裁判例でも共有されており、その判断過程において、インタビュアーがインタビュイーから何らかの発言・コメント等を引き出した場合にその最終的な表現についてそれを引き出したインタビュアーがその表現の著作者に該当し得る点も両裁判例で共通していると考えられるのですが、具体的な結論については両裁判例で分かれる結果となっているところ、これは、インタビュイーの発言に対するインタビュアーによる修正・改変等の有無が影響したものと考えられるところです。今回の事案のようにドキュメンタリー映画において、インタビュアーの問いかけに対するインタビュイーの発言がそのまま撮影・録画されているような場合に創作表現への関与の点からみて判決のような判断になるのは妥当と言えましょう。
 次に③については、まずドキュメンタリー映画中の個々の場面における事実やその陳述が特定の意図に基づいて制作されるドキュメンタリー映画に取り込まれることとなっても、それらに対する著作権法上の独占権は上記①に関する説示と同様に再度否定された上で、原告ドキュメンタリー映画における表現上の本質的特徴が被告小説の対比箇所から直接感得することができるかどうかの争点については、原被告作品の共通的創作表現の部分の有無につき、場面の選択・配列に着目した判示がなされ、原被告作品においては各々、原告主張の対比表で取り上げられている場面以外の場面が多数あることや、その順序も異なること等の点から、原告主張の点に係る創作表現の共通性も否定されています。
 ノンフィクション作品に係る著作物性・著作権侵害等が争点となった既存の裁判例を見ても、このような取り上げる事柄の選択・配列の観点から判断されているものが一定数存在しており(注4)、その点では今回の判決も従来の裁判例の考え方を汲むものに位置づけられることになります。その際、こうした「事柄の選択・配列」の点から創作表現の共通性の有無を探るとなると、一定程度以上に異なる選択・配列をするといわゆる非類似・非侵害に傾きやすくなりますし(注5)、また、ノンフィクション作品の場合は同じ事実を扱っていてもそうした事実の描き方が異なるとやはりいわゆる非類似・非侵害に傾くという点もあり、ノンフィクション作品を扱った従来の裁判例でも非侵害の結論となっているものが多くなっているのが実情であるところ(注6)、今回の判決においても非侵害であると判断されたことについては妥当であったものと解されるところです。
なお、ノンフィクション作品の著作権侵害が争われた既存の事例は、文字表現作品同士のケースが通常であり、異種の表現媒体同士のケースは限定的であるところ(注7)、今回の事案は映画表現と文字表現との対比がなされたという非常に珍しいケースであり、当にこの点に今回の判決の特徴があると考えられるのですが、今後検討すべき関連課題としてこのような場合における著作権侵害要件としての所謂類似性の点があるのではないかと思うところ、これについては紙幅の関係上、別の場面・機会において取り組みたい旨を申し上げて、本稿を閉じたいと思います。

(注1)最判平成13年6月28日民集55巻4号837頁
(注2)本解説(その1)を参照
(注3)東京地判平成10年10月29日知的裁集30巻4号812頁〔SMAP大研究事件〕
(注4)本解説(その2)で取り上げた知財高判令和4年7月14日(令和4年(ネ)第10004号)〔ホンダ50年社史事件〕のほか、例えば、東京地判平成21年12月24日(平成20年(ワ)第5534号)〔弁護士のくず事件(第1審)〕、知財高判平成22年6月29日(平成22年(ネ)第10008号)〔同(控訴審)〕や、東京地判平成22年1月29日(平成20年(ワ)第1586号)〔富士屋ホテル事件(第1審)〕など。
(注5)この点は、編集著作物の場合と同様であろう。
(注6)部分的な著作権侵害が認められた事例として、東京地判平成27年2月25日(平成25年(ワ)第15362号)〔田沼意次事件(第1審)〕。
(注7)例えば、書籍と漫画との侵害関係が問われた事例として、前掲注4の東京地判平成21年12月24日(平成20年(ワ)第5534号)〔弁護士のくず事件(第1審)〕、知財高判平成22年6月29日(平成22年(ネ)第10008号)〔同(控訴審)〕があり、書籍とドラマとの侵害関係が問われた事例として、東京地判平成5年8月30日知的裁集25巻2号310頁〔悪妻物語(第1審)〕、東京高判平成8年4月16日知的裁集28巻2号271頁〔同(控訴審)〕がある。

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