JRRCマガジンNo.180 塞翁記-私の自叙伝4

半田正夫

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JRRCマガジン No.180   2019/10/10
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みなさまこんにちは。
ラグビーW杯、日本チームの躍進に大きな盛り上がりを見せています。
決勝トーナメント進出を賭けての大一番は、またもや週末に台風の接近が予想され、
試合が成立するかどうかハラハラしています。
さらに、もう一つの週末の個人的な楽しみは大河ドラマ「いだてん」です。
先週の放送は目下戦時中で学徒出陣の模様が描かれていました。
半田先生の塞翁記もこれまで戦前から戦時中にかけての札幌の様子が語られています。
ドラマを観ている私にとってはすごいタイミングです。
東京都市部と札幌、二つの街の同時期の様子を頭の中でシンクロさせながら観ています。
戦争のことを語り継ぐことができる方が減りつつある今の時代、半田先生の小学生時代の
お話はとても貴重なものと感じています。

前回までのコラムはこちらから
https://jrrc.or.jp/category/handa/

◆◇◆半田正夫弁護士の塞翁記-私の自叙伝4━

第1章 小学生時代

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◆暗唱

戦時中の日本史(国史といった)の教科書の冒頭には「神勅」が載っていた。
それは天孫降臨の際に天照大神から皇孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられた文書である。
その内容は、
「豊葦原の瑞穂の国はこれわが生みの子の君たるべき国なり 汝皇孫行きて知らせさきくませ あまつひつぎの栄えまさんこと まさに天地とともに極まるなかるべし」
(豊饒な日本は私の子孫が王となるべき国である。さあ、あなたが行ってこの国を治めなさい。あなたの子孫が栄えることは、天地が永久に栄えるのと同様です)というものであった。
そしてこれの暗唱が義務付けられた。
また同様に、「修身」の冒頭には「教育ニ関スル勅語」が載っており、これもまた暗唱が義務付けられたのである。
国民の義務が羅列してあり、戦時下の教育の本質がそこに述べられていたのであるが、難解な漢語調で記されていたため、
われわれにとってはチンプンカンプンであった。

◆軍歌

私の家では常にラジオが点けっぱなしであった。
当時は戦時下ということもあって、ラジオからは勇壮な軍歌が絶えず流れていたので、
知らず知らずのうちに覚えるようになった。
なかでも好きだったのは、
「あの日揚がったZ旗を 父が仰いだ波の上 今日はその子がその孫が 強く雄々しい血を継いで~」で始まる「海の進軍」だった。
陸奥や長門などの戦艦を擁する連合艦隊が健在のころで、ニュース映画などで荒波を蹴立てて進む勇壮な連合艦隊をバックに古関裕而作曲のこの曲が流れると、勇気が満ち溢れ、歌わざるを得ないという状態がいまでも続いている。
男の子に人気があったのは、「エンジンの音轟轟と 隼は往く雲の果て」で始まる「加藤隼戦闘隊」の歌や、「赤い血潮の予科練の 7つボタンは桜に錨」で始まる「若鷲の歌」であった。
前者は同名の映画で、前輪を機内に引き込めて飛び立つ陸軍戦闘機「隼」の威容をはじめて目にし、その格好の良さに興奮して映画の画面に向かって拍手喝采したものであった。
また後者は、「決戦の大空へ」という題名の映画の主題歌として使われたが、7つボタンの制服の凛々しさは軍国少年の憧れの的だったのである。
ところが戦況が悪化し、特攻隊の出撃のニュースが流れるようになると、軍歌もしだいに悲壮感を帯びたものが主流になり、
「肉を切らせて骨を断ち 骨を切らせて髄を断つ」というやけっぱちの歌がラジオから流れ、「突撃ラッパは鳴り渡る」で終戦となる。

◆戦時下の隣組

戦時中は国家総動員法のもと隣組制度が設けられ、隣近所との付き合いはこれまで以上に強化された。
札幌では市全体を地区別に10数個の聯合公区に分けられ、それがさらに十数個の公区に、さらにその下にいくつかの班に分けるという構造を示していた。
私の住んでいた東本願寺の裏通り近辺は、西創成聯合公区第4公区第7班となっており、その構成は、会社員、自営業など
種々雑多の20世帯であったが、なかでも職業軍人の家庭が3戸を占め、そのうちの1戸はすでに遺家族となっていた。
各戸とも最低3人、多い家では10人も住んでいたから、第7班は早計100人から150人であったろうと思われる。
戦争が激化し敗戦間近とときには、さらに6軒の家にも召集令状が来て出征していった。
我が家は幸い父が40歳を越していたので応召は免れたが、工場などに徴用される可能性が出てきて、母とともにかなり心配したものだった。

出征のときには隣組全体で壮行会を催し、私は少年団代表として「私たちも後に続きます」という挨拶をするのが例であった。
壮行会が終わると、「勝ってくるぞと勇ましく~」などと軍歌を歌いながら集合地点まで旗を振りながら、列をなして送ったものだった。

父は班長を務めていたので、わが家では頻繁に常会が開かれた。常会の開催通知は回覧板で事前に知らされており、各戸ともほとんど漏れなく集まってきた。
来ない者は非国民扱いをされていたので、否が応でも出席しなければならなかったもののようである。
常会で取り上げられるテーマは、班ごとに配給された物品の配分の方法を決めたり、
市から聯合公区、公区というルートで伝達された事項の周知徹底を図ったり、防火訓練の日程を決めたり多種多様であったようである。
防火訓練には各戸から一人は出なければならず、そのほとんどは主婦であった。
主婦はモンペ姿で頭に防空頭巾をかぶりバケツを持って集合する。ノコの目立て屋のおっさんの指示に従い、一列に並んで点呼を受けたのち、
各戸の玄関口に備えられている防火用水槽から水を汲みだし、バケツリレーで先頭にいる男性に手渡し、その男性が目標としている的をめがけて水を掛けるという訓練であった。
横で見ている子どもの私ですら、これで焼夷弾を消すことができるのだろうかといぶかったものであった。

各戸に用意されている防火用水槽は縦横ほぼ1メートルの立方体であり、常に満水にしておくことが義務づけられていた。
防火訓練はめったにやらないから、水はいつも濁っており、ボウフラの発生源となっていた。
夏の夕方になればこのボウフラが羽化して蚊になり、蚊柱がどこの家の軒先にも立つのが当たり前の光景であった。

つづく 
次回はいよいよ第2章 中学生時代のお話に入ります。お楽しみに。
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