JRRCマガジン第61号(集中管理の歴史<日本編>)

川瀬真

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   JRRCマガジン No.61 

川瀬先生の著作権よもやま話
著作権等の集中管理
第3回「集中管理の歴史<日本編>」
 
                               2016/6/13配信
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皆様、こんにちは。
JRRCメルマガ担当です。

紫陽花が路地で生き生きとしているのを見かけるようになりました。
紫陽花は、土壌環境で咲く色が異なるそうです。一般的に、土壌が酸性だと青系、アルカ
リ性・中性の場合は赤系の花びらを着けると言われています。
先日 同じ株から紫(青系)とピンク(赤系)の花びらをつけた紫陽花を見かけ驚きました。
調べてみると、主に一つの株には沢山の根が存在し、それぞれの根の生えている土壌の
成分により色が異なるらしい。
珍しいことではないとのこと、皆さまの近くにも。。。

それでは、
川瀬先生の著作権よもやま話
第3回「集中管理の歴史<日本編>」
をお送りいたします。

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川瀬先生の著作権よもやま話 
著作権等の集中管理 
第3回「集中管理の歴史<日本編>」

 わが国における著作権制度は、諸外国と同様、出版者の保護から始まった。1869(明
治2)年の出版条例から始まり、その後世界の大勢にあわせる形で著作者保護に移行し、
1899(明治32)年の著作権法(旧法)制定と著作権の国際的保護を定めたベルヌ条約の
締結により、近代的な著作権制度を整えたといえる。
 しかしながら、当時の国民の著作権に関する意識は高くはなかった。当時は現代と異
なり交通手段も通信手段も未発達であり、著作権制度の発祥地である欧州から見ると
 「極東」に位置するわが国は、少なくとも知的財産の分野においては未開の地に映って
いたかもしれない。
 したがって、ベルヌ条約を締結し、外国人の著作物を保護することを約束したのは、江
戸時代に結ばれた不平等条約の解消を実現するために、欧米諸国から外国著作物の
保護を強く求められたからと説明されると「ああ、なるほど」と妙に納得してしまう。
 このようなことから、当時のわが国は、日本人の著作物はともかく、欧米の著作物につ
いては、たとえ事前に許諾を取ろうとしても、すぐに連絡し交渉できるような環境にはなく、
結果として無断利用が横行していたというのが実情であったと推察できる。
 この状況を一変させたのが、1932(昭和7)年ごろからわが国で活動し始めた、欧州の
著作権管理団体の代理人であるドイツ人のウイルヘルム・プラーゲ氏の存在である。プラ
ーゲ氏の権利行使は、当時の出版者、レコード会社、放送局、興行主等のいわゆるプロ
の著作物利用者にとっては晴天の霹靂であったと思われる。すなわち、それまで外国の
作品を無断で利用していても事実上何ら問題が生じていなかったのが、ある日突然使用
料を請求されたからである。しかも、その額はわが国の実情を無視した法外な金額であ
ったが、彼の行為は全く合法的なものであり、誰も抵抗することができなかった。
 このため、例えば、当時のNHKでは洋楽の放送が1年間できなかったなどの事態に陥
り、わが国における著作物の利用秩序に大きな混乱が生じた(この混乱は一般的に「プラ
ーゲ旋風」といわれている)。
 このような事態をみかねた当時の政府はいくつかの施策を打ち出した。
 その1つが1934(昭和9)年の旧法の改正である。改正前の旧法では著作物の演奏又
は放送について、それが生で行われようが、録音物を用いて行われようが区別をせず、
どちらのも権利が働くことになっていたが、法改正により適法に録音された録音物を用い
た演奏又は放送は、出所の明示を条件として、著作権が働かないこととされた(旧法30条
1項8号)。したがって、プラーゲ氏も録音物を用いたこれらの利用については使用料を
徴収できなくなったことになる。
 もう一つが、1939(昭和14)年の「著作権に関する仲介業務に関する法律」(仲介業務
法)の制定である。この法律は、プラーゲ氏のわが国の実情を無視した過激な権利行使を
事実上禁止すると同時に、日本人の権利者による自前の著作権管理団体を設立させ、
わが国の中核的な管理団体として育成することを目的にしている。そして、条約上、その
行使を禁止できない外国人の著作権については、当該団体を通じて行使させることによ
り、わが国の実情に合った使用料を徴収させようとするものであった。
 その目的を達成するため、仲介業務法の施行と同時に、例えば音楽分野では、現在の
日本音楽著作権協会(JASRAC)が業務の許可を受けたが、プラーゲ氏の許可申請は、
当初の予定どおり不許可処分となった。
 このようにわが国の管理団体は、欧州のように権利者側の自発的意思により設立され
たものではなく、政府主導によるものであることが分かる。また、権利者主導で管理団体
が発達し、その弊害を抑制するために政府が事業規制を行った欧州とは異なり、1業種1
団体を原則に、業務実施の許可制と使用料の認可制という国の強い規制のもと、官民が
一体になって中核的団体の育成を目指したわが国とは歴史的背景に大きな差がある。
 著作権を含めた知的財産権に関する考えの発祥は欧州にあるとされており、わが国は
その知的財産権に関する考えを輸入し、先進国の仲間入りを目指す過程で、その考えを
徐々に定着させてきた。プラーゲ旋風は、見方を変えると、わが国の著作権界にとっては、
著作権の重要性を認識するいい機会であったかもしれない。
 次回は、この仲介業務法の下でわが国の管理団体がどのように発達してきたのか。そ
の歴史を振り返ってみる。

                               
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