JRRCマガジン第42号 連載記事

半田正夫の著作権の泉

~第30回 肖像写真と著作権~

 本稿が掲載されるころは、おそらく読者は年賀状の文案作成に追われているのではなかろうかと推察する。年賀状といえば、私には忘れられない一つの思い出がある。
 1970年代の初めごろ、8年間にわたって皇族や旧華族の子弟が多く通う某私立大学の非常勤講師として出講していたことがあった。ある年の正月、知人や教え子などから来た賀状をめくっていると、校門をバックにした若い女性のはがき大の写真を発見した。まったく見ず知らずの女性である。表を返すと、「あけましておめでとうございます。私はもうお年頃となりました。誰かいいひとがいたらご紹介ください。」と書いてあった。この文章は印刷されていたのであるから、少なくとも50通は作成して投函したものと思われた。自己PRもここまで来たかと当時筆者は驚くというより、感服したものだった。
それから数年、夏には暑中見舞い、新春には年賀状と、バックは変わりこそすれ、嫣然と微笑んだ彼女の写真が送られてきて、私はそれを探すのが楽しみとなった。それがある年から急に来なくなった。「いいひと」が出来たのかと祝福を送りたい気持ちと、楽しみが奪われた悲しみとが複雑に胸のなかを去来したものだった。

 上記のような肖像写真も巧拙の違いはあれ、写真著作物として保護される可能性があることはいうまでもない。そして写真を撮ったカメラマンにその著作権が帰属するのは当然である。ところが、この当然であるはずのことが当然ではなかった時代がわが国にはあったのである。それは戦前から戦後もしばらくは適用されていた旧著作権法時代である。同法の25条に「他人ノ嘱託ニ依リ著作シタル写真肖像ノ著作権ハ其ノ嘱託者ニ属ス」という規定が置かれていて、たとえば写真屋に行って写真を撮ってもらうと、その写真の著作権は依頼者に帰属することになっていたのである。写真屋に著作権を与えると、自分の技術が優れている宣伝材料として、被写体である依頼者の迷惑を顧みることなく乱用される可能性があることを慮ったことのようである。確かに、ひところ写真屋のウインドウに一見して見合用の写真と思われる写真が大きく引き伸ばされて飾っているのを見かけたものである。長い期間それが掲示されていると、まだ売れ残っているなと好奇の目にさらされたものである。写真屋に著作権があるとすれば、このような弊害が出ることも予想されよう。
このことを立法者が考えたとすれば、堅苦しい条文の集合体である著作権法にも情が通っていたということもできるようである。だが、適齢期を迎えた娘の見合用の写真を撮ってもらおうと、母親が娘を引き連れて写真屋に行って取ってもらった場合、依頼者は母親であるから母親に肖像写真の著作権が帰属することになり、その出来栄えに満足した母親が肝心の被写体である娘が嫌がっていても、それを焼き増しして関係各所にばらまくことも可能となってしまうことになろう。したがって、このような姑息な手段によらずに、見合用の写真であるなしにかかわらず写真の著作権はそれを撮った写真屋に帰属し、ただ被写体の肖像権にかかわることであるから、焼き増しして各方面に配布したり、引き伸ばしてウインドウに飾ることは本人の同意なしにはできないとしておくだけでよいといえる。そのためか、現在の著作権法は旧法25条の規定は削除され、肖像写真といえども実際に写真を撮影した者に著作権が帰属するという原則に戻って処理している。きわめて妥当な措置である。

 人生も後期高齢者の時期を迎えるようになると、教え子からの年賀状がことのほか嬉しいものである。最近は写真仕立てのものが多く、写し出された写真のなかに若かりしころの彼や彼女の面影を見出し、「ほほう、あいつも老けたなあ」と過去を懐かしむことができてなかなかに楽しい。だが、なかには子供の写真だけが載っていて教え子の顔が写っていないうえ、近況を知らせる文もないものがある。これでは本人の顔を思い出す手がかりがなく、なんの感懐をももたない無味乾燥なものになってしまっている。子供の顔写真を見て喜ぶのは祖父母ぐらいのもので、アカの他人にとってはどうでもいいことであることに気付くべきではなかろうか。

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山本隆司弁護士の著作権談義

~第38回 非親告罪化~

 先日大筋合意されたTPPにおいては、商業規模の著作権海賊行為(copyright or related rights piracy on a commercial scale)に対する刑事罰に関して非親告罪化を規定しています(第18.77条1, 6(g))。その国内立法化の議論においては、権利者と利用者の双方からの反対が強く、複製権の侵害に限定し、翻案権の侵害には限定しないなどの意見が出ています。今回は、この問題について検討したいと思います。
 まず、利用者または侵害者側が非親告罪化を嫌がるのはまだしも、権利者側が非親告罪化を嫌がるのは、私には不思議です。権利者は親告罪であることは何か権利を持っているかのように誤解しているのではないでしょうか。親告罪であることは、権利者には不利益にはなっても、利益になることはないように思うからです。
 そもそも、親告罪とは何かを確認しておきましょう。犯罪の被害者は、捜査当局に犯罪者の処罰を求めることができます(刑訴法230条)。これを告訴権と言います。これは公法上の権利で、捜査当局には事件をどのように処理したかを報告する義務を生ずるだけで、捜査当局がどのように捜査・処理するかを拘束することはありません。実際には、告訴状を被害者が提出しても、捜査当局がこれを受理しないこともよくあります。告訴権があるので捜査当局が告訴状を受理しないことは告訴権の侵害ですが、告訴権は私的利益を保護する私法上の権利ではなく公益を保護する公法上の権利ですので、被害者は告訴権の侵害に対して訴え(国賠訴訟さえ)を提起することができません。他方、親告罪については、侵害されたことと侵害者が誰であるかを知ってから6ヶ月(告訴期間)以内に被害者が告訴しなければ、侵害者は罪に問われることはなくなります。したがって、親告罪であることによって、捜査当局による捜査と刑事裁判の機会を制限するだけで、著作権侵害を抑止する効果が強化されるものではありません。
 他方、非親告罪化によって、著作権侵害を抑止する効果が強化されると思います。権利者が著作権侵害の事実を見つけても、刑事告訴もせずに泣き寝入りすることが多くの場合に生じています。捜査当局に刑事告訴しても、よほどの大きな事件でもない限り、積極的に動いてはくれません。一般犯罪でもそうですが、著作権侵害のような専門事件は特にそうです。また、権利者が著作権侵害の事実を立証する証拠を揃えて持っていかなければ、相手にしてくれません。刑事告訴をしても損害を回復できるわけでもありません。そのため、費用を掛けてまで刑事告訴をすることを断念し、泣き寝入りするわけです。他方、著作権侵害が刑事裁判になるのは、捜査当局が組織犯罪などを摘発しその段階で著作権侵害について個々の権利者に刑事告訴を促す場合が多いように思います。しかし、その段階では権利者が泣き寝入りしていたためにすでに告訴期間を経過しており、著作権侵害での立件ができないということが生じます。著作権侵害罪が親告罪であることは著作権侵害を野放しにする結果になっています。非親告罪化によって、野放しにされる著作権侵害が抑制されることが期待されます。
 したがって、親告罪であることは、権利者には不利益にはなっても、利益になることはないように思うのです。(なお、著作権侵害を親告罪にする法政策的根拠にも疑問があります。理論的には面白い論点ですが、ここでは割愛します。)
 つぎに、非親告罪化を複製権の侵害に限定し、翻案権の侵害は親告罪のままにしようという意見は、翻案権の侵害を非親告罪にすると自由な二次創作が妨げられるとか、コミックマーケットにおいては二次創作に原著作者の「黙認」があるとの理由づけがされています。
 しかし、親告罪によって守られる必要のある「自由な二次創作」など、果たしてあるのでしょうか。二次創作は、翻案権に抵触する行為です。原著作者の許諾を得て行うべき行為です。原著作者の許諾を得ずに行った行為は、なんら守られるべき利益はありません。翻案権侵害を親告罪のままにすべきであると主張する人は、二次創作に当たるのか全く別の著作物に当たるのかにはグレーゾーンがあるから捜査当局の介入にふさわしくないというのかもしれません。しかし、そもそも翻案権侵害が刑事犯罪である限り、告訴さえあれば、捜査当局の介入が可能なのですから、理由になりません。その理屈は、翻案権侵害を非親告罪にしないという根拠ではありません。
 コミックマーケットにおいては二次創作に原著作者の「黙認」があるとの理由づけは、別の意味で重要です。コミックマーケット関係者は、そこでの二次創作に対して原著作者からクレームが来たことはほとんどないから、その活動に対して原著作者の「黙認」があるのだと主張しています。第1に、そこでの活動は原著作者から翻案の許諾(明示の許諾も黙示の許諾も)を得て行っていないことが自白されています。著作権法が定める法秩序は、原著作者から許諾を得て行うことを求めています。私には、著作権法上許されざる行為だと思います。第2に、原著作者の「黙認」と主張して、そこでの二次創作者が原著作者に許諾の意思があると思っていれば、許諾を堂々と求めに行けばいいのです。堂々とそれを求めに行かないのは、正面から求められれば、断られることがあることを知っているからでしょう。第3に、原著作者が無許諾の翻案行為があってもなぜ「黙認」しているのか。それは、多くの場合、原著作者が泣き寝入りしているのだと思います。無断の「二次創作」の事実を原著作者が見つけても、民事上・刑事上の手続きをとるには費用と時間が掛かります。弁護士に警告書を内容証明郵便で作ってもらうだけでも数万円に費用が掛かります。警告書に応じてこなければ、損害賠償等を求めて裁判を起こす必要がありますが、最低でも数十万円の費用と1年程度の時間が掛かります。そこでの侵害が多くの場合には零細なものですから、このような手間暇が採算に合わず、泣き寝入りする結果になります(なお、泣き寝入りを少しでも解消するためには法定賠償制度など救済制度の改善が必要ですが、その議論については次の機会にします)。このような背景を考えれば、原著作者の「黙認」を安易に原著作者の許諾と同視して、このような二次創作を保護する発想は危険です。第4に、コミックマーケットが、翻案権侵害が非親告罪化されれば自由な二次創作が阻害されると主張して、その非親告罪化に反対しているということは、翻案権侵害に対する非親告罪化によってそこでの無断の二次創作(翻案権侵害)が抑止されるという効果を示しています。無断の二次創作(翻案権侵害)を保護するというのは、翻案権を認めるということと矛盾しています。翻案権を認める以上、無断の二次創作(翻案権侵害)が抑止されるべきものでしょう。

以上

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JRRCなうでしょ 第29回

こんにちは。
JRRC事務局長の稲田です。
今年の冬は暖冬異変と言うことで雪のないスキー場が多くニュースになっていますね。
私は実は札幌生まれの札幌育ちですが、北海道の住宅はどこの家も冬は石油暖房で室内温度が30度にもなりますので半袖で過ごせるくらいに暖かくしていました。
ところが、東京の家は、冬の北海道の温かい室内を経験しているものにとっては
地獄と言ってもいいほどの寒さでたまりません。
もう慣れましたがそれでも寒さは苦手です。
皆さんのお宅ではいかがですか?
それでは12月号JRRCなうでしょの最初のお知らせです。
JRRCでは新年よりメルマガの内容を見直し、これまで月1回の配信を3回にします。
また、2016年4月からは月4回の配信となります。
内容をより簡素化し、読者の皆様に読みやすいメルマガとなりますので乞うご期待ください。
次にJRRC企業・団体のための基礎講座第5回を、2016年1月29日(金)14時よりアイビーホールで開催いたします。
今回も申込者数を80名と増員していますので、まだこれまで参加していない読者の皆様は
川瀬教授の名講義を聞ける良いチャンスですので是非お申込み下さい。
参加申し込みは本日よりホームページで受け付け開始いたします。
以上12月の「JRRCなうでしょ」でした。

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